日記 2018年7月 | 松山市周辺の不動産をお探しなら株式会社青い国不動産にお任せ下さい。

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 高2の娘がカナダのバンクーバーへ2週間の語学留学?に行きました。外国志向が強いこの子は、ほとんど一人で手続きして、一人で飛行機に乗って行きました。宿泊は現地の民間の家にホームステイします。将来は外国に住んで仕事をするのが夢だそうです。

 これは間違いなく私の願望がこの子に移転(遺伝?)しています。私も中学のころは行ってみたかったのですが、親に言う勇気が無くて、その内に勉強勉強と尻を叩かれる高校へ行ったもので、それが今も心の奥で赤黒く燻ぶったままです。ですから、話を聞いた瞬間から私は大賛成でした。

 とにかく、旅ほど人を成長させてくれるものはありません。全てが新しいモノに触れて、一人で迷って考えて他人にも相談しながら実行する。リスクも名誉の傷として受け止めて進む。これは若ければ若いほど絶対に良い。英語が話せないのに行くというのが、又良いと思う。一回りも二回りも大きくなって帰ってくることとおもいます。

 ENJOY! 娘。 

 

投稿日:2018/07/31   投稿者:-

 運動を日課として10年以上になります。初めは近くの小さな公園の中の外周をブランコや鉄棒の間の隙間を縫うようにして2~3kmから始めました。次に住宅情報誌の景品で頂いた折り畳み式のマウンテンバイクで自転車も始めました。そのうち水泳もと言う事で、トライアスロンの大会に出たり、サイクリングの大会にでたり、マラソンにも出たりしました。初めの5~6年は競うことが楽しくて道具自体にも凝ったりして熱中しましたが次第にそれよりも自分のペースで体を動かすことの方が心地良くなってきて、今では競技会等には一切出場していませんが、以前と同様のペースで体を動かしています。

 マイペースへ切り替えたきっかけは、3~4年前の一過性全健忘(軽い脳梗塞のようなもの)でした。元々競技会への出場自体に疑問を持っていたこともあり、それ以降一切出なくなりました。(しかし、それらへの出場は無駄だったとは思ってなくて、導いてくれ、きっかけを与えてくれたものとして、必要なものだったと思っています。)

 しかし、今では私にとっての運動は趣味と言うものではなく、生きていく上でオーバーではなく必需品そう、食事・睡眠・仕事・運動の様になっています。

 では、まず私のランニングの流儀について書いておきます。今は私は草か土の上しか走りません。膝が万全ではないので、石手川の河川敷のマイランニングコースまでは朝、車で行きます。そこで8km程度走り、それに腕立てやストレッチを1時間程度を週1か2回やるのですが、このランニングの楽しさに目覚めたのはここ2~3年前からです。それまではむしろ苦手で、トライアスロンの中の一競技に入っているために止む無く走っていたのですが、今はその奥深さに、欠かすことは出来ないものになっています。

 この奥深さを感じる一つに走る環境が重要です。私のコースは350m程の直線の折り返しですが、そこの半分以上を手入れの行き届いた芝生が生えています。毎日ボランティアで近くの人が水やりや刈り込みを行っており、遊具が無ければゴルフコースかと思えるほどに仕上がりかけています。この方がここに来出したのが8年ほど前で、その時は10畳ほどのエリアしか芝は無かったと思いますので、その人の熱意たるや頭が下がる思いがします。河川敷自体は市の管理なのですが、市の担当者曰く「これほど綺麗に管理され市の公園はありません」との事。初めのうちは近所の人から、勝手に水道水を芝に撒いているとクレームがあったらしいのですが、今では市も公認のボランティアになっているようです。

 公園の様な公共財は自分がやらなくても誰かがやるだろう的な発想から、結果雑草や生い茂り、ゴミも散らばる犬の散歩程度でしか近所の人も使わないものになっていきますが、ただ一人の熱意でご近所だけではなく私の様に車に乗って行ってでもそこを走りたい!と思う人が出る立派な市民の財産に変わるものだと思いました。

 春は梅から始まり、次に桜のトンネルを抜け、真夏は桜の枝の木陰をはしり、秋はガサガサと落ち葉を踏み、冬は年に1回は真っ白なバージンスノーの上を走れる。加えて芝を管理する人の熱意が感じられる、こんなランニングコースはそうは無いでしょう。アスファルトの上で競うこともそれはそれで楽しかったですが、私がこのコースを走ることに夢中になれるのもお分かり頂けるものと思います。 

  

投稿日:2018/07/27   投稿者:-

 私は「異常気象」と言う言葉に昔から違和感を持っていた。40年近く前に友人がその時の暑さに異常気象と言ったのに対して、私が返した返事は「毎年暑いのだから異常とは言わない」と言うようなニュアンスの事を言った記憶が今も鮮明にある。

 しかし、昨日この欄で大洲豪雨を書いた数時間後、私がスマホで撮影していた今年2月の大洲の豪雪写真をたまたま見た途端、「異常気象」が頭に浮かんで瞬間に違和感と言うものが消え、胸にストンと落ちたのです。

 やはり、数十年ぶりの大雪と大雨が半年内に起こるということは、異常気象なんだろう。そして、これが日常にならなければ良いが。S・H兵頭

投稿日:2018/07/17   投稿者:-

 200人以上の犠牲者を出した西日本豪雨から10日程経ち、一昨日と昨日大洲の友人の自宅と賃貸マンションの後片付けと清掃の手伝いをしてきました。

 水郷大洲は元々水害の多い地域で、いつも一級河川の肱川の氾濫が原因となります。私の記憶でも子供のころから自宅の床下、床上の浸水は何度もありました。前回は23年前で洪水の度に堤防の補強や高さを上げているようですが、今回はそれをも超えて甚大な被害をもたらしました。

 彼の家は80cm程1階が床上浸水し、汚泥を残し水のみ引いた状態でした。1階に置いてあった家具、家電、畳、建具、備品類や車2台がいかれ、建物は柱のみある能の舞台状態でした。廃棄物は大型の産廃車4台分あり、特に彼が長年掛けて集めた本類や音楽関係の楽器、ステレオ、楽譜等の廃棄が彼には特に堪えたようでした。

 とにかく、彼の家は昨日大洲市の家内消毒が終り、ひと段落付いたようで、次の復旧のステップに移れるようです。横にあるローソンも中の清掃までは終わったようで、手早く再開と行きたい処でしょう。自然にやられる時はあっけないが、一つ一つ盛り返していくのも人間です。しばらくすると何事も無かった様に動き出すはずです。

投稿日:2018/07/16   投稿者:-

 思いの外の長梅雨で今も外では雨が降っています。W杯の私の「予兆」は見事に当たりませんでしたが、日本チームの終戦の翌日から、3週間ほどDL入りしていた大リーグの大谷選手が復帰と、私にとって見逃せないスポーツイベントが上手い具合に続いています。

 さて、6月22日分の続きを書いておきます。3日目の尾瀬からの帰宅の日も朝から雨で、梅雨の合間の晴れが続く予報の日を選んで旅程を立てたのですが、日本は長細く、こちらが晴れでもあちらは雨、あちらは晴れでもこちらが雨と、覚悟は決めていたのですが、濡れた路面の高速道路をバイクで800km以上走るのはちょっと気が抜けないので、気持ちが重いまま朝6時にスタートしました。

 朝の8時頃、長野の伊那辺りを雨中走行中、バイクのラジオで大阪の地震を知りました。次のサービスエリア(SA)で高速道路の状況を確認した処、関西方面の全ての路線図が真っ赤の状態で全線通行止めになっていました。それでも今日中に着かなくてはと、とり合えず通行止めの区間まで進む事にしました。途中、雨が止んだり又前が見えないほどの豪雨でSAでしばらく雨宿りしたりと、何とか岐阜の養老SAまで着いた時には雨も上がり、カッパを着ていたら暑い位の天気になっていました。そこのサービスカウンターで復旧時間を尋ねた処、亀裂や崩落の為、しばらくは通行止めが続くことを告げられ、代わりにと地図上に蛍光マーカーで日本海までクルッと回る北陸自動車道から舞鶴若狭道路を経由した兵庫まで行くルートに色を付けてアドバイスを受けました。そのルートはだいぶ大回りになるのですが、迷ってもしょうがないと、早々に出発しました。そんなこんなで予定より3時間程余計に掛かり、午後8時ころ帰松しました。

 本題(地図)と余り関係のない事を色々と書いて来ましたが、いずれにしろなぜか私は地図が好きで、車のナビを使って旅などをする機会が有っても、必ず地図で復習をします。初めての土地なら地図上で予習もします。こんな人が多いのか少ないのかは、人に尋ねた事がないので知りませんが、私は無意識に地図上で全体を俯瞰することにより、全体をまず把握し、そこに個々の事象を落とし込む事で個々と全体とが上手く合致し、スムーズに理解が可能になる事を本能的にやっているのではないでしょうか。これは人がまだ狩猟で生活をしていた「太古の時代の目標達成=狩りの成功」の為の男性必須の能力だった様に思ったりもします。

 中学時代の「地図当て」と称する社会科の地図上で、特に外国の小さな地名をお互いに当てっこする給食時間にする遊びから始まり、今は不動産業と言う地図が必需品の仕事に就いていますが、これも太古から続く血のなせる業なのでしょう。S・H兵頭

投稿日:2018/07/05   投稿者:-