日記

DIARY

 コロナウィルスが発生して2年半程になるがこれまでは、遠い所の出来事、都会人中心の病気、年寄は注意しなきゃ、くらいが私の認識だった。色々なマスコミで連日流れるコロナ関連のニュースにウンザリしてスルー、テレビに向かって「どこまで臆病なんだ!」と文句も言っていた。マスクをほとんどしていないアメリカやヨーロッパの国々がうらやましかった。だからマスクもどうしてもと言う場合だけしか使用しなかった。しかし、7月中旬から風向きがガラッと変わってきた。これまで私の周りでは一切出なかった感染情報が続々と現れて来たのである。

 まず、直ぐ近所のお宅のご家族を一切お見受けしなくなった。車が全台常に駐車していたから全員ご自宅内にいらっしゃたのだと思う。約10日後お見受けする様になったと思ったら、次は近所に住む親せき一家、その後弊社の社員が1人、2人、3人と次々と感染したことが判明していった。ここに来て初めて切迫感が出てきたのである。

 こんな状況では誰が掛かってもおかしくないのであるが、掛かった身近な人を考えてみるに単なる年齢ではなく、何か持病というこのウィルスが攻撃しやすい弱点を持つ人が掛かりやすいのではないかと思ってみたりする。前から言われている事ではあるのだが。ただ、だれも重症化していないのが救いである。

 昨日、4回目の接種のお知らせが来たので、これも受けようと思っている。持病がこれと言って無いのと3回接種をやっていたお陰で掛かってないのかもしれないし、現在の七波では収まるとは到底思えない超長期戦に備えて。兵頭

 

投稿日:2022/08/05投稿者:-

  弊社が設立20周年を終え、21年目をこの8月で迎えました。この様なことに無頓着な私は、取引銀行さんにお祝いを言われなければ、そのままスルーするところでした。まぁ、スルーしたとしてもしなかったとしても、このブログで取り上げるか否か位の違いではありましたが。

 私は40代中盤で「青い国不動産」を立ち上げるまでに新卒社会人から20年ほどで5つの不動産会社にお世話になりました。その内の一つは東京赤坂で自ら立ち上げた会社だったのですが、これを含めての5社です。これらの会社は現在すべて存在しません。3社は倒産、1社は廃業、1社は吸収合併されました。非常に生存競争が厳しい世界であります。しかし、今は存在はしません5社ですが、在職中これらの会社や社長から学び、学ばせて貰った教えや知識は今の会社の存続に大きく影響を与えて貰っている事に間違いはありません。

 「青い国不動産」を立ち上げてからは、勿論順風だけが吹いていた訳では有りません。しかし、途中で止めようとか無理だとかと思ったことは一度も有りませんでした。この道しか無いと決意していましたし、失敗したら0に帰るだけだとの開き直りや、感度が少し鈍いのが幸いしたのか、恐る恐るのスタートから、少しづつ気持ちも積極的になっていったかとなと思います。昔の当ブログ上における「10周年を迎えて」と言う文章で、「これからもっと積極的に行動します!」という文言を書いた事を思い出しました。

 最も危機感を持ったのは設立してから7年目前後だったと思います。ここを新展開の事業で乗り切ると、その後に訪れる何度かの窮地や勝負処も思い切った手によって上昇気流に乗せることが出来ました。それらの経験則から「ピンチの後にチャンスあり」「谷深ければ山高し」は間違いない法則であると実感しています。むしろピンチや谷と言った不調期は、成長に必要な時期であると思っています。

 そして今思うこと。「宇宙は成長し続けているので、人が成長を放棄する時、宇宙にとってその人が不要になる時である。だから、人が成長している間、宇宙は人を死なせない。」人に限らず全ての物体、人の集合体である会社も同様だと思っております。兵頭

 

投稿日:2022/08/03投稿者:-

 2017年元旦、松山からスタートした当企画は、2021年末まで5年間を掛けて、日本列島縦断からロシアの東端ウラジオストック→ポルトガルのロカ岬までのユーラシア大陸を横断、そこから南下してジブラルタル海峡を渡りアフリカ大陸の北西の国モロッコのカサブランカまでやってきた。

 さて、今年の前半の運動での移動距離は以下の通りである。

 山歩き    44回 ×  7km = 308km

 スイミング  22回 ×  2km =  44km

 自転車    25回 × 25km = 625km

 ウォーキング 31回 ×  7km  = 217km 

   スキー             5回 × 20km = 100km

 計     127回         1294km

 

 半年前の同タイトル’21年後半の最後に、「この後はカサブランカからパリ・ダカールラリーのコースを巡り、エジプトへと向かう。」と書いたが、これは当時の私の認識不足で、そもそもパリ・ダカールラリーのコースは毎年変更され、かつアフリカ大陸の内陸奥深くへ大きく入ったり海側に出たり又入ったりの繰り返しのコースで、一般的な大西洋を右手に見ながら地図上でほぼ直線のコースを南下するルートと大きく異なることになる。この直線ルートでも2000km以上ある上、目的地のエジプトは真東方面なので、どんどん離れていくことになる。 従って、南方のダカールには寄らずにカサブランカから東にルートを取りエジプトを目指すことにする。

  さて、モロッコのカサブランカから東へ約1000kmのアルジェリアの首都アルジェへ行く。ウィキペディアを要約すると、「アルジェリアは紀元前から多くの国の植民地とされてきたが、第二次世界大戦後の独立戦争でフランスに勝利してから独立国になった。その首都アルジェは海岸付近の低地に発達した近代的な部分と高台にある古都部分に分けられる。海岸部分は、北アフリカのパリ、と呼ばれるようにフランス統治時代の白壁の建物が立ち並び、高台部分の旧市街はイスラム風の建物やモスクが多い、とある。この街はとても印象深い小説「異邦人」カミュ作の舞台でもある。この小説にでてくる有名な不条理な場面、北アフリカの地中海沿岸の舞台と共に今も思い出される。

 次にこのアルジェから東へ約300kmのアルジェリアの第三の都市コンスタンティーヌへと向かう。ここは海岸沿いの街アルジェから内陸に80km入った山中の断崖の上にある小都市(人口50万人ほどで松山並み)で、街の周囲が深い渓谷に囲まれているので、他からこの街に入る為の8本のつり橋がある。街並みはアルジェの海岸沿いの街と同じフランス領時代の建物が多いらしい。都市名は紀元前の支配者ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスに由来している、との事。

 ここで、今回約1300kmは終わるが、やはりアフリカは広い。こんな机上の旅でもその広さを感じる。その点ヨーロッパはあっという間に通り過ぎた気がする。次回はさらに東に進みチュニジア、リビアへ。取り敢えずの目的地エジプトは次々回の1年後になるのかな。兵頭

 

 

 

 

投稿日:2022/07/15投稿者:-

  昨年の梅雨が2ケ月もあったせいで、3週間程しかなかった今年の梅雨は全く物足りなく、これから台風シーズンまでの水不足が心配である。

 しかし、梅雨明けを待っていた私はその宣言後すぐに北軽井沢へ飛んだ。もちろん前号で書いた赤雷神を車に乗せてである。実証したかったのは 昔、山口百恵で流行った「プレイバック パート2」♬緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ→ドカッティでも絵になるかどうかであった。

 答えは直ぐ出ました。北軽の樹々の緑のトンネルに似合うのは、赤いポルシェではなくてやはり赤いバイクのドカッティでした。もし車なら赤いポルシェのオープンカーでしょうか。

 さて、下界のうだるような暑さをよそにと言いたい所ですが、今年はここでも、日陰は涼しいけど日差しに当たるとやはり暑かった。しかし、やはりバイクを走らすと十分涼しく、草津白根山頂では流石に寒く上下の防寒着として雨合羽を着たくらいである。ここからは、遠く残雪の北アルプスを望むことが出来ました。

 奥志賀から野沢温泉までの林道も、これでもかと言うくらいのカーブの連続で、コーナリングの1000本ノックかと言うくらい多くのカーブがありました。もうしばらくはコーナリングは腹いっぱいである。

 いつ来ても、バイクの一人旅の期待を裏切らない信州、上州路、又紅葉時に来てみたい。兵頭

PS.北軽の滞在中、息子夫婦が東京から訪ねて来てくれた。東京から2時間と近く、すっかりここの自然を気に入ったみたいだ。いつでも使って貰いたいと思う。

 

投稿日:2022/07/11投稿者:-

 新しいドカッティが来た。モンスター821(赤)である。初めての水冷ドカッティであるが、静かではない。私がドカッティに持っていた理想の感覚に今までで一番近いバイクである。

 それは、低速から高速まで排気音が連続音(ブォーンとか)と成らず、ドカドカドカドカとパルス音が一音一音はっきり聞こえる音質であること。地面を蹴とばす様な加速感、ワイルド感(スムーズであってはいけない)が味わえること。軽いコーナリングマシン(重いツーリングマシンではない)であること。これら今の私の好みが詰まった理想のバイクである。

 私がリターンライダーに成ったのは15年ほど前の40歳代後半であるが、当初は初心者としてヤマハセロー250、訳が分からずリッターバイクに乗りたいという事で、カワサキゼファー1100、ここで私のバイク人生は終わるはずだった。これらは面白味がないのである。私の目にはマイナス面しか映らなかった。

 しかし、起死回生のバイクが現れた。次に購入したBMW850Rである。それは大柄であるが軽く、取り回し易く、トルクフラットで乗りやすい。何より人間中心の設計思想が古いバイクであったが十分感じ取れて、乗るたびに感銘を受けていた。それから2台続けてBMW1200GT、同1600GTLとどんどん大型化していった私のバイク歴。それは850Rの設計思想はそのままに、より快適に、より速く、よりスムーズにという路線であった。その頃はバイクで東京や長野へ1日800km超の走行可能なバイクを求めていたので、それはそれで間違いではなかった。

 しかし、高速道路のバイクでの長距離移動は慣れれば単調で、面白味がだんだんと薄れてきて、私の中でマイナス面が大きくなった。そして同じ単調なら車の方が何かと便利で安全でラクチン(実はこれらの単語はバイク乗りには禁断の麻薬である)であると分かり始めてきて、ここで今までの路線を方向転換したのである。

 長距離移動中心から短中距離のライディングを楽しむ方向に変わったきっかけのバイクはドカッティムルチストラーダ1000s(通称/赤いトウガラシ)であった。このバイクの外見と音量音質の下品さ、その音質の中に聞こえる艶っぽさ、物上質感、走行感の上品さは今まで乗ったどのバイクの延長線上にもなく、孤高の存在で今でも私を飽きさせずに楽しませてくれる。次のドカッティ676はドカッティ初級者用で空冷らしく乾いたドカドカの音質が魅力で、そのクラウチングポジションも慣れれば、峠を責めるにはピッタリである。そして、今回の821である。

 昔の歌に 歌手曲名は忘れたが、 ♬人は 昔 昔 鳥だったかもしれないね、こんなにもこんなにも空が恋しい♬ というのがあった。バイク運転の魅力は、二次元の空を飛ぶ疑似体験のようなもので、その浮遊感にあると私は思っている。その感覚を味わうには、ただ速いだけでは崖の上から本当に浮遊後落下してしまうので、バイクの特性と、自身の技量、道路状況が上手く合致している等のバランスが必要である。自分に合ったいいバイクを良い道路で乗った時は、本当に空を滑空している気持ちになるものである。

 今回の命名はその音とマッチョなボディから「赤雷神」と呼ぶことにする。兵頭

 

 

 

投稿日:2022/06/29投稿者:-
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