日記

DIARY

 この4~5日はウォーキングしかしていない。汗をかくような運動が止められているので、心身ともどうもスッキリしない。と言うのも12月の定期健康診断で血便が見つかったらしく、先日大腸内視鏡検査をした結果、ポリープが見つかりその切除をしたからである。運動だけではない。アルコールや香辛料もダメと好きなものは全部ダメである。

 大腸内視鏡検査は初めてではない。20年ほど前に1度だけ経験があったが、その辛さ、痛さは例えようがないものだった。世の中で一番避けれるならば避けたい経験の中のトップクラスに当るものと言う記憶があった。しかし、時間が経ち記憶もだいぶ薄れてき、検査方法も進歩改善しているだろうと期待して臨んだ今回の検査であった。

 結果はやっぱり痛かった。予想して身構えた以上に酷かった。何に例えたら良いのか、時間にして45分の間素人がプロボクサーに腹部をパンチされ続けたらと言えばわかり易いだろうか。(ほとんどの人は経験がないのでむしろ分かりづらいか)。胃カメラの方が痛いだの、お産の方が全然上だの人によってその程度は様々らしいが、兎に角私は二度とご免である。(ちなみに鎮痛剤を打ってから行う方法もあったが、又やらなければいけないとなったら使うことにしたい。)

 今回の定期健診では特筆すべき事態は上記の件だけで、後は前年、前々年前と傾向は変わらない。改善を実行しているものは数値も良くなり、或いは良さを維持しており、実行できていないものはやはり悪い結果がでている。体は正直である。

 私の場合の後者は悪玉コレステロール値の高さである。好物の肉、特に脂身が一番の原因であると最近薄々と察していたので、ちょっと辛いけどこの際サッパリ断ってみることにした。大腸内視鏡検査のような刺激的だが、まだ私が未知の検査・施術を受けることが無いように。

 

投稿日:2020/02/11   投稿者:-

 末娘のアパート探しに大阪へ行った。今春、高校を卒業して大阪の専門学校で勉強し、海外で働きたいという彼女自身の夢に向かって頑張るだろう。

 それに加えてバイクの運転免許を取りに行きだした。自動車学校では大型バイクの免許を希望したらしいが、まずは中型をと説得されたらしい。海外と言い、バイクと言い、まるで昔の自分を見ているようで、血は争えない。農家の長男に生まれた私に比べて、むしろ制約のない彼女が私には羨ましい。

 40数年前、高校を卒業した私は上京するため夜行列車で地元の駅を発った。「サライ」を聞くと当時の状況が走馬灯の様に蘇ってくるのだが、18年間親元でそれなりに積み上げてきた自分自身のささやかな歴史というものを全てご破算にして出ていくという事は、一生の内でもそうは無い大きなターニングポイントだったと思う。

 将来何処かの国で働く彼女に、バイクで会いに行って一緒にツーリングする事が今は楽しみだ。

 

 

投稿日:2020/01/28   投稿者:-

 昨年1年間の運動した距離をシベリア鉄道沿いにたどって行く、机上大陸横断トライアスロンの1年締をしておきたい。続きを分かりやすくするために、昨年の7月4日付け本ブログの昨年1~6月半年間の書き出しを( )内に記しておく。

 (簡単におさらいしておくと、2017年元旦に松山を出発して北海道最北端まで行き、そこからロシアのウラジオストックへ渡り(海上は距離に含めず)、シベリア鉄道沿いに西進し、一昨年末にハバロフスクから西へ280kmの町、オブルチェに到着。昨年一年間掛けて、そこから3145km西進したチェレムホボ。そして、そこから今年の前半で1625kmを走破。そこは「ノボォシビリスク」という町である。)

 そして、昨年一年間の走・歩・泳行距離は以下の通りである。走43回、山歩90回、自転車77回、泳ぎ81回、スキー6回、計297回。それぞれの距離を掛け合わせると、走576km、山歩344km、自転車1925km、泳ぎ162km、スキー60km、計3067km。前々年の3163kmとほぼ変わらないが、たぶん距離の出ない水泳が増えて自転車が減った影響が出たのではないかと思う。

 さて、昨年はノボォシビリスクを前半で過ぎて、そこから約1500km西にある「エカテリンブルグ」に到着した。ここはロシア第四の都市で、アジアとヨーロッパの境となる街である。首都のモスクワまで1800kmに迫ったので、今年の夏ごろにはモスクワ到着できる。そこから東ヨーロッパ、西ヨーロッパ、ポルトガルの突端まで取り合えず行きたい。

 この様なほぼ毎日の運動を始めて12~3年近くになる。年3000kmとして、約4万km。地球一周と同じくらいの距離を稼いだ。陸上だけに限るともっと多くなる。思えば遠くへ来たものだ。

投稿日:2020/01/13   投稿者:-

 明けましておめでとう御座います。本年も昨年に引き続きよろしくお願い致します。

 年末は予定通りに群馬の友人方へ行き、ついでに長野の白馬のスキー場へ寄った。事前に調べた通りに雪不足で上部のみしか滑れなかったが、まずは良かったと思う。年末年始の9連休の長期休暇に松山周辺でじっとしているのは辛い。

 大晦日の夕方に車で長野から帰松し、長時間の運転で硬直した体をほぐし、一汗かき気持ちよく新年を迎えようと、薄暗い中近くのいつもの山に登った。そこまでは良かったが、そこから事態は暗転した。

 真っ暗闇の中、頭に付けた電灯が足元を照らして無かったようで、何かにつまづき下山途中に岩場から転倒して、左側の頭と左横腹と左膝を強打したのだ。足が若いころに比べ上がらなくなったからか。今だに患部は痛むが、傷口が濡れないように風呂に左足を上げ浸かっていた時ふと思った。私の傷や患部は全て左半身に集中しているのではないか。

 小学3年時に川で鯉を取る網を仕掛けるために鎌で水中の葦を切っていて誤って自分の左足ふくらはぎを切ってしまったのが最初だ。その痕と後遺症(左足後部全体の軽いしびれ)は50年以上経っても今も残っている。40歳代前半にはぎっくり腰をやり左腰には重いものは乗せれない。又、その影響で左腕外側も常時軽いしびれがある。10年程前のロードバイクでの転倒時の打撲も確か左肩だった。1年前のランニング時の踵の原因不明の痛みも左足である。この影響でアスファルトでのジョギングはやらなくなった。そして、今回の転倒である。記憶に無いだけで、まだまだあるはずである。右側にある患部は水虫だけだ。

 転倒時に利き手、利き足の右側を守るために、無意識で左側から地面に着地しようとするからだろうか。でも、それだと左側にある最も大事な心臓はリスクが高くなる。原因は分からない。

 対策としては、バイク・スキー・自転車のスピード系が好きなので、ヘルメット着用は当然の事、それ以外の部位を守る防具を付ける事。それから、山登り等の非スピード系もやはりヘルメットや防具を付ける事。そしてどれも暗い中・見通しが悪い中では走らない・登らない。スピードが出る下りにより神経を使う。

 この文を打っていて思ったが、左側・右側専用の防護パーツはないものか。もしあれば、もっと軽く、安く、手軽に装着できると思うのだが。それにしても、不思議な事もあるもんだ。

 

 

 

 

投稿日:2020/01/09   投稿者:-

 令和元年もあと数日のみになった。年々、年の瀬の慌ただしさも無くなって行くようだ。日常との区別も薄くなり、ただ長期の休日のみが残っているかのようだ。

 年の暮れの出来事を思い出してみる。来年10歳になる12月31日の除夜の鐘を布団の中で聞きながら、障子の下にあるガラス越しに、やけに明るい月を見上げていた情景を鮮やかに思い出す。そして、今まで長かった思いと、来年から10歳になり何が起こるか不安と楽しみと布団の寒さに身震いした思い出がある。

 20歳の年末31日は、帰省もせずにバイト先の大手出版社の書庫の守衛室で1月4日の朝まで一人で過ごした。帰省する金があるならスキー代に回したかった頃だ。

 30歳の年末は何をしていたのだろう。松山に帰ってきてはいたが、記憶が無い。40歳も50歳も無い。流石に去年の60歳時はあるが、紅白を時々横目に見ながら半分ほどしたら寝床に着いたと思う。

 若い時の記憶にあるような鮮明な思い出をこれからは作りたいものである。今年は北国の友人を訪ね、先月亡くなった彼のお母さんの仏壇にお線香を上げてこようと思っている。

  

会社の業務は28日午前中まで、年始は1月4日から行います。

今年中は大変お世話になりました。来年も引き続きよろしくお願い致します。

 

 

投稿日:2019/12/26   投稿者:-