日記

DIARY

MLB大谷選手の2021年シーズンが終わった。少し前にシーズンが始まったと思っていたが、162試合はあっと言う間に終了した。

 彼の今シーズンの記録を後の為に記しておく。打者として、打数537、打率.257、打点100、得点103、本塁打46,三塁打8、二塁打26、盗塁26、出塁率.372、長打率.592、OPS.964。投手として投球回数130.1/3、9勝2敗、奪三振156。

 これらの数値の中で、リーグで単独1位は無く、三塁打8が1位対のみであるが、多くの記録がリーグ10位以内に入るものであった。

 昨日の最終戦、1打席目でホームランを打ったのは11試合ぶりであったように、今年の後半は小さなスランプに何度も陥った。その間ホームランを打つたびにスランプ脱出と言われたが、彼の崩れたスイングは変わらず、完全な上げ潮には乗れなかった。46本のうちオールスター戦後の13本は、理想のスイングでは無かったが、彼の地パワーでスタンドまで持っていったものだ。完調でなくても、年間換算30本ほどになるこの数値が、逆に彼の凄さを表していると思う。

 ピッチングはその反対に中~後半に掛けて素晴らしいものだった。序盤は前々年のトミージョン手術後のリハビリ明けの為に四球を連発して、失笑ものに映った人も居ただろうが、見事に回復した。記録は23試合に先発して、投球回130回1/3、9勝2敗、防御率3.18、奪三振156、与四球44である。

 彼の二刀流の試みは今年前半は、ケガ回復状態の様子見、後半はスタミナの限界の様子見だったように感じた。従って、来シーズンからが全ての障害を取り払った真の挑戦が始まるのだろう。期待しかない。

 

 もう一人、私が追っかけている選手、このブログにも何度も書いている現ドジャースのショートストップ、トレイ・ターナー選手。松山坊ちゃんスタジアムで米大学選抜で動物並みの運動神経を見せてビックリさせてもらったプレーヤー。

 今シーズン打率.328でナショナルリーグの首位打者になった。盗塁も32個で盗塁王。痩身だが本塁打も28本打っている。昨年のワールドチャンピオン ドジャースの3番バッターを任されている。今やメジャーリーグを代表するトッププレーヤーに成った。「センダンは双葉より芳し」のお手本みたいな人だ。後はピッチングがどの程度かと言うことか?

投稿日:2021/10/05   投稿者:-

  赤トウガラシことドカッテイムルチストラーダ1000DSが2ケ月ぶりに帰ってきた。クラッチの故障で修理工場に入っていたのである。故障の原因は、この夏の長雨でバイクに掛けていた防水シートの破れていた箇所から雨水が侵入し、防雨性能が弱いこの車のクラッチカバーの隙間から侵入したものだった。取り換えた元パーツを見たが雨で錆が相当出ている状況だった。私が中古で買った時点で、純正品から社外品に取り換えていたらしく、それを今回純正品に替えたのである。

 帰って来たバイクに乗った印象は、「これは赤トウガラシではない。ピリピリガシャガシャしたところが無くなっている。」雨が入るような隙間が塞がって音が外へ漏れる量も少なくなり、かつ刺激的な荒々しさが無くなりスムーズさが増した。パワー感も増したようである。荒々しさが無くなったのは少しというかだいぶ残念である。このバイクの大きな特徴はその音の荒々しさの反面扱いやすさであったが、スムーズ&パワフル&扱いやすさに変わってしまった。

 これはどの様に受け止めたらいいのだろう。外見以外はまるで普通のバイクになったようだ。使い方は短距離型から中距離型へと変わった。でも、最初はチョットと思ったが、十分いいバイクなのだ。否、毎日乗りたいバイクである。

 ということで、通勤・仕事にも昔の様に使い出した。朝からドキドキ感が味わえるなんて、幸せなことだと思う。兵頭

投稿日:2021/09/29   投稿者:-

 長時間の車の運転で高ぶっていた神経と12時間シートに座りっぱなしで強張った筋肉の調子を合わせる為に、帰宅後バイクと荷物を取り合えず車内から降ろした後、一息つく前にスポーツウエアに着替えた私は、いつものジョギングコースを走った。アドレナリンが出っぱなしの神経から指令が行く体はいつもに増して快調で、涼しくなった闇夜の中、所々街頭で照らされている芝地を、いつもより速く走った。

 4日前の早朝、台風14号の列島横断の後を追うように、東進した私は夕方に小雨の降る北軽井沢のキャンピングカーに到着した。隣接するオートキャンプ場のコインシャワーで汗を流した後、近くに住む友人Iと食事に行く。私はいつも彼のボヤキの聞き役になることが多いのだが、彼の先見の明と実行力には一目置いていて、東京時代から40年ほどの付き合いになる。今後も友情は続くだろう。

 最も彼に感謝しなければならないのは、この北軽井沢の地を私に紹介してくれたことである。彼の地元である此の地は彼に言わすと、「冬は寒くてどうしようもない土地」であるが、四国育ちの私にとってはどの季節も新鮮で何時行っても涼しいか寒いかのどちらかで汗をかくことが無く、物音ひとつしない原生林の中、満天の空にはその多さ明るさが桁違いの星々が見られ、何より素晴らしいワインディングロードが至るとことにあるバイク天国でもある。彼と会わなければ、こんな別世界を人生で深く味わえる事は無かったと思う。

 此の地には、しばらく前から知り合いになった初老の別荘族が数家族居る。彼らはゴールデンウイーク前後からここに移住し始め、初雪舞う11月ごろに関東地方の各都県にある温かいご実家に帰られる。私は行く度に彼らから声掛けをしてもらい、必ずN氏ご夫妻宅の広いベランダか庭で軽い食事と酒を頂くのがここ数年の慣習になっている。行く度にその数は増え隣のO氏ご夫妻、今回からもう一ご夫妻増えた。更に、彼らとは又別のお付き合いがある奥さんを亡くされた方もいる。これらの中で最若年の私が言うのも何だが、皆さん孤独と温かみ相反するものを求めていらっしゃるようだ。他愛もないお喋りや庭いじりで余生を悠々自適に送られている。

 到着の翌日は1年間伸び放題になっていた敷地の雑草を、持参した草刈り機で刈ったり、5月から閉めっぱなしだったキャンピングカーの全ての扉を開けて換気したり、I宅へ不動産関連の話に行ったり、近くのお気に入りロードをバイクで流したりと、昨日のドライブの疲れを取ることを優先した。

 到着後2日目は神奈川県に住む従妹夫婦Eの家にお邪魔することにした。車で行くかバイクで行くか迷ったが、混雑が嫌なのでバイクで行くことにした。関越自動車道と圏央道で渋滞もなく3時間ほどで到着した。まず叔父のお墓参りに従妹の車に乗せてもらい、途中で叔母も乗せて行く。久しぶりだったが、叔母もお元気そうだった。

 叔父の墓を従妹の家族と行くのは初めてだったので、叔父も実は大切にしてもらっているんだと感じて、それだけで嬉しい気持ちになる。

 それからが、ビックリの連続だった。従妹のご主人の趣味、一般的には好き嫌いが分かれるだろうが、私は大好きな、異能選手権優勝者の様な趣味である。 家は私が昔、ローマの郊外で見た事のある様な落ち着いた庭、反面室内はビックリ箱かと思うようなアジアン、ヨーロピアン、アメリカンが混ぜ混ぜの異国風。車庫の車は扉が上に跳ね上がる近未来風スーパーカーとビックリするようなモノばかりが待ち受けてました。そう、あのカオス映画「ブレードランナー」のイメージですなこれは。シャワーヘッドからも湯とともに青赤の光が降って来るとは。

 BBQでもてなしてくれた、従妹には大変お世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。k君が身長も成績も上昇しますように。

 今回はバイクを乗り回すために計画したのに、人を巡る旅になりました。みなさん優しく接して下さり感謝しております。ただ、心配な芽が出てきました。世界旅行を考えると2000km走行などアイドリング状態とも言える走行距離で、疲れを癒す発想が出てきたとは、ダメだな。兵頭

 

投稿日:2021/09/24   投稿者:-

 その日は公私ともに色々あった日だった。概ね、それらは前向きで希望が持て、良い前兆と感じさせる事柄であった。特に大谷選手がホームランを打った日では無かったが、そんな訳で夕方なのにテンションが高まって、こんな日は雨も止んだことだし山へでも登ろうと、帰宅早々運動着に着替えていつもの淡路が峠に登った。

 その下山道でのことである。私がi phoneの音声に合わせて英語でぶつぶつ言いながら下っていると、ガサガサドドとただならぬ物音が下り坂の前方から聞こえた。i phoneへ視線を落としていた私はすぐさまそちらの方へ視線をやった。ものの一瞬ではあったが、視線に入ったそれは巨大なイノシシであった。80キロはあるであろう。道路を一瞬で横切り右上の背丈1~2m程の笹林の中に入っていった。一瞬遅れて20キロ程の子イノシシも母親の後を追って、1mほどの擁壁を道路まで飛び上がり、道を横切って同じ笹林の中に消えた。そして、なぜかすぐ無音になった。

 奴らは雨が止むのを待って晩飯を探しに山から下りて来たのだ。奴らが土を掘り返して餌を探して居たのは道路下の斜面になった柑橘類の畑である。この畑のお百姓さんはこの柑橘は特段商品にするようなものでも無いらしく、お金のかかる猪除けの高圧電線を張りめぐらしてはいない。よって夜行性の奴らも子連れで明るいうちから、それも数十メートル先には人家も車道もある奴らにとって危険なエリアで餌を探していたのだろう。

 私は立ち止まったまま、頭の中で善後策を巡らせた。奴らが笹林の中に飛び込んだ途端に笹を揺らす音も消えたと言うことは、道路から数mほどの処に身を潜めている可能性は大である。そこで、私は大声で怒鳴ったり、中学時代の野球部の発生をしたり、犬の吠え声をまねたり、i phoneの音を最大にして音楽を流したり(これはこういう時は音が小さすぎる)と、奴らを威嚇して、奴らが笹をかき分けて右上の山の方へ消えていく笹の動きを期待して見守った。しかし、笹は全く動かない。奴らはまだそのにいるのだ。

 今考えると、もう一度山の頂上に引き返して、別の下山道を帰途する方法もあったと思う。1時間ほど余計に掛かるが、その時は全く頭に思い浮かばなかった。子供や女性連れだとたぶんそれが思い浮び、選択しただだろう。身近にも猟銃を持っていて腹を牙で刺されて死んだだの、指を持っていた菓子ごと食いちぎられただのと聞いていると、私も結構勇気がいる判断をしたものだ。

 私はその場にどれくらい留まっていたか分からない。実際は数分だったかもしれないが痺れる時間帯であった。

 私はゆっくり歩き出した。例の音だの野球の掛け声だのを出しながら、それも大声ではなく、(ここに無害な人がいてお前らには何もせずに目の前を通ることを知らせるという意味で)決して走らず、かと言ってゆっくりでもなく、奴らの笹ごしの視線と私の臭いを数mの距離で感じさせながら、半分はどうにでもなれ、と腹をくくって下って行った。

 色々あったこの日は、最後にもインパクトを残した日だった。兵頭

投稿日:2021/09/16   投稿者:-

 「勇気をもらう(或いは、あげる)」この「もらう(あげる)」の表現の仕方が、常々私の頭に引っかかっていた。英語初心者が原文を直訳した様な、或いは歌詞の様な、この言い回しは勇気と言う気持ちを、物に例えているようで違和感をもっていた。

 本来は、「勇気付ける(付けられる)」が正式な言い方だと思うが、「世は言葉に連れ、言葉は世に連れ」だとは私も理解しているつもりなので、違和感があっても軽い若者言葉の一つであると理解していた。

 しかしある時、私はこの若者言葉がしっくり来る場面に出会った。それは休みの早朝、気になるメジャーリーグの大谷選手の情報を得ようとスマホで今現地でやっている試合経過を見てみると、なんと初回にホームランを打っているではないか。

 この時は確かに、「勇気をもらった」の気持ちだった。意訳すれば「元気をもらった」のであり、それは「勇気付けられた」のでも「元気付けられた」とも違った。

  もらったりあげたりする「勇気」は、振り絞る様な一世一代の大層なものではなく、今日を乗り切る程度の「元気」の事なのである。

 しかしである。彼のホームランは私にとっては、正直なところ今日一日を元気に乗り切るカンフル剤的なものと言えるが、例えば病床で重い病気を患っている彼の大ファンの少年にとっては、このホームランはもっともっと意義深く大きいものであろう。この場合は間違いなく「大谷選手のこのホームランは少年を勇気づけるものであった。」になるであろう。

投稿日:2021/08/17   投稿者:-