「バーン」。それは一瞬の出来事でした。その乾いた音と共に7~8m離れた所でこちらをにらみながら突っかかろうともがいていた黒い物体辺りから薄い煙が見えた瞬間にその黒い物体は視界から消えました。「やったぞ。」と友人の声と共に下の道路で声を上げたり、手を打ったりして注意をこちらに向ける手伝いをしていた私と彼の仲間はその消えた物体が視線から消え、転がっている処まで雑木の小枝で覆われた斜面を駆け上がりました。
物体の耳の辺りから血が流れ、目玉が頭から飛び出していました。下から見上げていた時には良く分からなかった体躯は目測100kg級の大型の雄猪です。弾は右耳辺りから入り頭内に留まっており、その反動で目玉が飛びだした立派な体の後ろ脚はまだ盛んにバタバタしていました。それを抑えながら胸に一突き長さ30cmほどのドスを入れそこから血抜きをするために頭を斜面の下方に3人がかりで反転させました。巨体が生前に前足をワイヤーの罠に縛られもがき回った跡は、山の斜面が窪むほど削られ尚且つそこが平らに均されたように繋がれた木の周りを半円の形に残っていました。近くにいても不思議と獣臭さはしません。よほど家の子犬の方が臭いとは、後から家に帰った時に感じたものです。
その日の朝、猪肉を分けてもらう約束で彼と会い、別れた10分後に携帯へ「デカいやつが掛かっとるぞ。」「おう、行くわ。」と速攻で彼の支持する場所まで車で向かいました。地元の人しか知らないであろう細い山道を幾度か曲がって道路の端に止めてある彼の軽トラの後ろに車を止めました。そこで彼が指さす小枝や笹の向こうの方向を見上げた処にちょっとそれらしいものが見え、しばらくそこを凝視していると少し動いたのでこれかと、距離20mほどの斜め上方にちょっと頭だけが出ていました。その頭の振れがだんだん大きくなり罠を繋いでいる木が不気味にゆさゆさ揺れだしました。
もし、罠から足が抜けこちらに飛び掛かって来るとしたらと、以前見た山中を走る猪のスピードを思い出し、20mの距離と藪の下り斜面を頭の中で計算してみると、ここまで来るのはオフロードバイクのフルスロットル時並みのほんの1秒程だろう。その間にこちらは後ろにある彼に軽トラの荷台に飛び乗り、足蹴りの用意をするのに1.5秒かかるとしたら、軽トラに登って振り向くまでの腰辺りに100kgの肉弾とその先のデカい牙が突き刺さり軽トラの上からフっ飛ばされ反対側の斜面の10m程下の池まで転げ落ちるだろう。そんな場景が瞬間に頭に浮かび、他の方法が無いかと考えている時、彼の猟仲間が彼が忘れた猟銃の弾を持ってきたので、頭が切り替わりました。その間に彼は猟銃に1発込め、猪の居る同じ高さまで上がり銃を構えて猪が横を向く瞬間を待ちました。
今日はそれをサバいた肉を貰います。これから先のシーズンの雄は脂が無くなり肉はマズくなるらしいので、今シーズンは最後の猪肉になるかもしれません。S・H兵頭