昨日、久し振りにバイクウェアとしてのブラウンの古い革ジャンに腕を通す。いつ振りか思い出せない。10年否20年それ以上か。その時もまともに着た覚えは無く、その重さにこれゃダメだ、と元のハンガーに掛け直したと思う。買ったのは30歳手前だった。その時でさえ、バイクウェアとしてのその寒さと、重さに抗して着る、と言う感じだった。そういえばカナダへの新婚旅行のスキーツアーもこれを着て行ったが、バカみたいで私らしい。(当時はバイクとスキーの融合を考えていた事を思い出した)メンテナンスは5~10年置き位に思い出した時、ワックスを塗るくらい。全く捨てる気にならない。
昨日はなぜか着て乗る自信があった。最近色々な事があって「やってやろう」と気力が満ちており、体力もそれに応えれる準備が出来ていたのであろう。最近ちょっとスリムになったので、サイズがデカい気がするが中に色々着こむにはいいだろう。それで寒さはいいとして、さらに重さが嵩むか。
実家は牛を飼っていた。3~4頭のホルスタインである。病気か種付けか分からないが、たまに獣医が来ていた。彼が乗ってきたのが、前後にエンジンガードが付いた黒い大型バイクで着ていたのが黒い革ジャンだったと思う。子供の私からは体のデカい男臭い(獣臭い)カッコいい人が来ている、と記憶にある。これが最初の出会いか。
男は革ジャンに憧れた。私も含めて最近の薄い・軽いウェアを着ていると、体は益々楽なものを求めるので、革ジャン程度でも敬遠される。洋画では今も昔も街着(バイク転倒時のケガ防止のための分厚い牛革ではなくて)として革ジャンが普通に着られているのを見るが、日本ではハーレー乗りが揃いの黒の革ジャンで連なって走るときにしか、生き残っているのを見ない。反権力イメージも今は昔。気力体力不要の街着用のものが一つ欲しいと思っている。
その日、私は晩秋の青空の下、もちろん古い革ジャンに身を包んでその重みに頼もしさを感じながら、いつもの山道を走った。