1ケ月ぶりの投稿である。話題がなかったわけではないが、ついつい書きそびれた。このひと月は休みのたびにスキーに行っている。残りシーズンも少ないので楽しみたい。
この間は長野の八方尾根に行ってきた。その昔、スキーヤーの聖地として憧れと恐れを抱かれたところである。八方尾根で滑っているというだけで、人は羨望の眼差しを向けた。そういう私もズブの初心者の時一度だけ訪れたことがあるが、頂上付近の兎平や黒菱の人の下半身を隠すほどの急斜面のコブの壁や全長8km、標高差1kmの長大なゲレンデを前に自分の技量では楽しめないとそれ以降訪れる機会がないまま他のスキー場へは頻繁に通いったが、自転車を初めてからはスキーを履くのを止めていた。
40年ぶりのそこは、北国でも雪不足が伝えられる今冬でも全山真っ白で、遠くまで来た甲斐があったと思ったのが第一印象だった。当日は特に午前中は雲一つない快晴でまさに「極楽スキー」状態であった。バブル真っ盛りでスキーブームのころに流行ったスキー中心の軟派な生活を描いた本の題名である。
さて、なぜスキーを再開したか。これはなぜ止めたかの訳を再度検証しなければならない。要するにつまらなくなったのである。自転車を始めてスピード感が近いので手軽に出きる方に移っただけ、という当時のそして先月までの理由を再考してみると、スキー技術が中途半端のままでそれ以上の上達がずっとなかったという事実に向き合わざるを得なくなった。私にとって物事全般、上達することが楽しいのであって、停滞は興味を無くすものである。
先月久しぶりにやったスキーも初めは停滞期のままのスキーであった。板やスピードのコントロールもアバウトなままのものであった。それでも末娘と来ているという満足感だけで流していた。多分一人では又しばらくやらないだろう、と思いながら滑っていた。
しばらくそれなりに滑っていると、当時の教則本や上級者から聞いた事の内容が次第に思い出されてきた。前傾姿勢、腕の出し方、内足の上げ方、回り込んだ時の両足の踏み込み具合、そしてコブの超え方等の頭の中にしかなかった忘れていた知識が時間を超えて鈍りかけた頭の隅から細い細胞を伝わって蘇ってきた。机上だけでは絶対に蘇ってこないことが、体の記憶と頭の記憶の相乗効果で蘇ってきたんだろうか。これらは当時、文字で読んでも体で実践できなかった技術が、今はストンを腑に落ちて、完全ではないが実践できるようになった。自分の中でスキー技術の一つの壁を越えた気はするが、上達しなかった時間は何だったのか、不思議である。
ただ、壁は超えたとは言え、体に覚え込ませなければ色々な雪質や斜度やコブの状況では昔のままのアバウトな自分が出てくるので、しっかり練習をと思っている。
というわけで、自己紹介の趣味の欄に「スキー」という文字が復活する予定だ。