昨日の休みはバイク仲間と高知県梼原(ユスハラ)町へ行く。初心者の彼と一緒に走るのは二度目であるが、バイクに関しては非常に熱心である。途中で挫折することなく、趣味の一つにしてもらったら嬉しい。
その彼から今日は是非ドカティのモンスターに乗ってきて貰いたいとのリクエストがあったので、乗っていくことにする。どうもこれは彼の憧れのバイクらしい。そして、このバイクは私が乗っていたトライアンフのストリートトリプル(出目金)に代わるものでもある。
この英国のバイクは非常に良く出来たバイク(もちろん嫌味ではなく)であり、速いし扱いやすく、人気もあり日本でヒットもしたが、私がバイクに求めているものは持ち合わせていなかった。何が違うか?要は情熱感がないのである。乗る前のドキドキ感、乗ってる最中のアドレナリンの上昇・無敵感、乗った後の楽しかったよお疲れさんと感謝。これらのいずれも無く、クールなのである、トライアンフは。そんな状態で3ケ月経ち、我慢できずに愛用の赤トウガラシと同じメーカーのものにした。この判断は間違いではなかったようだ。
赤トウガラシ程の個性は無く薄味ではあるが、確かにこれはドカティである。ドコドコ感がありしかもよく回るエンジン、軽いスロットルや軽いブレーキレバー、軽いクラッチレバー、軽い車体、無意識に軽く倒せるコーナーリング。排気量700ccで80馬力と今では大きくない方なので加速感は常識的なものだが、私がこのバイクに求めているものとしてはこれ位で良い。ドカティの入門版であり、私の日常使いとしては今はこれ以上はないのかなと思う。
しかし、3ケ月で買い替えた事は初めてであり、多少の罪悪感もある。この原因は私が我慢が無くなったからなのか。鷹揚さが無くなってしまったのか。良い事(もう乗る時間も少なくなっているから好きなものを乗ればいい)か悪い兆候(考えに柔軟性がなくなる老害の始まり)か。
考えてみるのに、自分では60才を過ぎてようやく好みがハッキリしてきた一つの兆候だと思っている。食べ物にしろ、身の回りのものにしろほとんど何でもOKだった私が選択し始めた。基準は自分らしさ、悔いを残さない、我慢が要るものは我慢し、要らないものはサッサとオサラバする。生涯を掛けた一生ものは大切にする。これと反する一時的なものは捨てる。すなわち目的を絞り、腹を決める必要がある。
ツーリング当日は快晴で、この冬一番の寒さのため、梼原でも初氷が張ったらしい。道路状況も心配だったが、特に何もなく往復できた。梼原は坂本竜馬脱藩の道や、今をときめく隈研吾(新国立陸上競技場の設計者)氏の設計したホテルや施設の建物が数棟あるのが見どころの町である。谷間の国道33号線から螺旋の道路を回り上がり、タイムマシンで行く未知の世界へ通じる様な異様に真っすぐで灯りが印象的なトンネルを抜け、山間を抜けるとポツンと小綺麗な街並みが現れる。そんな町も行き返りも印象深い町であった。