中秋の名月2020

 昨夜、雷鳴が遠退き雨も止んだので、ほろ酔い気味で外の縁台に寝転んで、不定期に光る遠くの雷光を探したり、流れる雲や星々を観たりしていた。最近はよく蚊取り線香を足元で炊いて、寝る前の1時間ほど室内から漏れ聞こえる音楽を聴きながら、縁台の上で寝転ろんで上を見上げるのが習慣になっている。

 30分経った頃、雲が薄れ夜空がさらに明るくなった。薄雲の後ろにある月が普段よりも明るい。さらに雲が晴れ、月が現れるとその満丸さと明るさに私は小さな感嘆の声を上げた。1日早い中秋の名月である。

 昔から歌人も多く詠んでいるが、寝転んで観る人は少なかっただろう。しかし、月にしろ星々にしろ雲にしろ、寝転ぶと見え方が180°違って見える。まるで自分が宇宙から眼下に広がる地上の雲や宙の月、星々を観ているような軽い錯覚を覚える。

 その日の朝日新聞に次のような俳句の紹介文があるので、拝借して記しておく。私の愛読コーナーの一つで、毎週楽しみにしているもので、ピーター・J・マクミラン氏の古典俳句を英訳し、解説したものである。この文書をこの朝に読んでいたので、今見ているのが中秋の名月だと分かったのである。

「米くるる友を今宵の月の客」(笈日記/松尾芭蕉)I enjoy with my friend,-who brought me rice,-the exquisite(極上の)full moon of this night.

-その解説文-。古来日本人は月を愛し、好んで文学に登場させた。和歌では四季、恋、哀悼、別離、旅など様々な主題が詠まれたが、月はその全てに重要なモチーフとなって現れる。満月、三日月、朧(おぼろ)月、果ては雲に隠れて見えない月まで、全ての月が愛されたことが日本文化の大きな特徴だ。地上を遍(あまね)く照らす光は、悲しみ、喜び、祈り、あらゆる人の心と結びついたのである。四季の中では、何より秋の月が愛された。旧暦八月十五夜の「中秋の名月」、九月十三夜の「後の月」は、現代でも愛でられる。今回の句に登場する「今宵の月」も、元禄の世の中秋の名月だ。

 元禄4年(1691年)、芭蕉は義仲寺(現・大津市)の無名庵に滞在していた。そこに門人の水田正秀らが訪ねて来る。正秀は大津の裕福な人物で、無名庵の建築も支援した。その折詠まれたこの句は、「徒然草」117段に「よき友三つあり。一つには物くるる友」(よい友は三種類ある。一つは物をくれる友達)とあるのを踏まえる。日頃の支援への謝意と親愛の情をユーモアたっぷりに伝えつつ、「よき友」と名月をともに愛でることができたかけがえのない喜びが重ねあわされている。芭蕉からお米の礼状もこの頃かかれているから、「米くるる」は現実でもあるが、そこに先日取り上げた、兼好法師と友人の頓阿のエピソードが重なり合う。兼好は「米たまえ」「銭もほし」というメッセージを歌に隠して送り、頓阿は同じ技法を使って「米はなし」「銭少し」と返して、ぴったりの息の合った見事なやり取りを見せたのだった。

 日本は「日出づる国」の名を持つ。だが、「竹取物語」や和歌の世界を思う時、私にはむしろ「月の国」に感じられる。今年は明日(今日)の夜が中秋だ。ZOOM上であっても、親しい友と共にお酒でも飲みながら、月を愛でてはどうだろうか。たとえ離れていても私たちは同じ月の下にいる、というのは多くに国々で、古くから愛されてきたテーマなのだから。

 芭蕉も読んだ中秋の名月を題材に私も一句と思ったが、寒くなったので家に入ることにした。

投稿日:2020/10/01   投稿者:-