5月26日はスーパームーンに皆既月食が重なると言う事で、午後8時ころを楽しみにしていたのだが、残念ながら雨こそ降らねど、梅雨空の分厚い雲に隠れて観月出来なかった。神秘的な月を見ながら聴こうと思って用意していた、ピンクフロイド「ダークサイド オブ ザ ムーン」だけは聴いた。
さて、我が意を得たり、と思える書評があった。それは、日経ビジネスの今週の1冊欄にロルフ・ドペリ著「News Diet」を紹介した作家の梶山寿子氏のものである。
概略を書くと、コロナ禍におけるコロナ疲れ、「コロナニュース疲れ」の事で、洪水のようなこの関連のニュースを浴び続け、人々は自分ではどうしようも出来ないことを連日連夜多方面から聞かされると、無気力に支配され生きる力を失ってしまい、「コロナうつ」に陥るようになる。そこで、ニュースを断つのであるが、断つのは浅く短い電子版であり、紙媒体の長文ものは推奨している。それで、自分に関係のある分野のニュースを深く学ぶことが大切である、という。「ニュース産業がなければ、テロリストは生まれない」「報じられていない出来事ほど重要度は高い」とも言っている。
私も一時期、テレビ局や新聞社の発する社会性のある全国ニュースこそ重要であり、それ以外の情報は一段価値の落ちるものであると思っていた時があった。もちろん今はそんなことは微塵も思っていない。むしろ反対に、その恣意性偏向性、横並び的性格、無責任性格、弱い者の味方の振りをしての驕り性格、他人に厳しく身内に優しい、針小棒大、マッチポンプ等悪口ならいくらでも思い浮かぶ。
このような情報が溢れる世の中で、私がいつも心がけていると言えば大げさだが、思っている事がある。「月と五円玉の遠近感」である。五円玉の穴から月が見えるほど五円玉を目に近づけると、さも五円玉の方が月より大きく感じることもできる。これと同じ理屈で、重要な事柄の手前に些細な事を置いてしまうと、何が大切かを見失ってしまう場合もあると言う、当たり前の事である。
この見誤らす技法はマスコミだけではなく、日常的に我々の身の回りでも頻繁に起きていることではある。これが冒頭の「コロナニュース疲れ」の根源的な原因だと私は思う。例えば、身の回り以外のコロナのニュースが個人的にそんなに大切か(愛媛県の場合は500人に一人感染)どうか、もっと大事な情報は500人おれば499通り有るはずで、それが五円玉に隠されている月なのである。