勇気付ける

 「勇気をもらう(或いは、あげる)」この「もらう(あげる)」の表現の仕方が、常々私の頭に引っかかっていた。英語初心者が原文を直訳した様な、或いは歌詞の様な、この言い回しは勇気と言う気持ちを、物に例えているようで違和感をもっていた。

 本来は、「勇気付ける(付けられる)」が正式な言い方だと思うが、「世は言葉に連れ、言葉は世に連れ」だとは私も理解しているつもりなので、違和感があっても軽い若者言葉の一つであると理解していた。

 しかしある時、私はこの若者言葉がしっくり来る場面に出会った。それは休みの早朝、気になるメジャーリーグの大谷選手の情報を得ようとスマホで今現地でやっている試合経過を見てみると、なんと初回にホームランを打っているではないか。

 この時は確かに、「勇気をもらった」の気持ちだった。意訳すれば「元気をもらった」のであり、それは「勇気付けられた」のでも「元気付けられた」とも違った。

  もらったりあげたりする「勇気」は、振り絞る様な一世一代の大層なものではなく、今日を乗り切る程度の「元気」の事なのである。

 しかしである。彼のホームランは私にとっては、正直なところ今日一日を元気に乗り切るカンフル剤的なものと言えるが、例えば病床で重い病気を患っている彼の大ファンの少年にとっては、このホームランはもっともっと意義深く大きいものであろう。この場合は間違いなく「大谷選手のこのホームランは少年を勇気づけるものであった。」になるであろう。

投稿日:2021/08/17   投稿者:-