アメリカで特に気付いた事を書いておく。
まず、完全な(クレジット)カード社会であること。現金しか使えないケースと言えば、朝枕の下に置いておくベットメイキングに対する1~2ドルのチップだけであった。それ以外は全て物品購入や食事等サービスも両方行けるが主にカードである。更にカードしか受け付けなかったのが、レンタカーを入れる際の時間貸し駐車場である。都市部や観光地のそれは現金を入れることが出来なくて、全てカードのみの支払いであった。日本ではコインパーキングという名称であるが、これはコインが盗まれない事がほぼ当たり前になっている前提でのシステムであると、そこで認識したのである。併せてあちらではカードがないと駐車場も借りれないという事も。
余談であるが帰国の翌日、カード会社から1本の電話が携帯に掛かってきた。それは何月何日何時何分にどこそこで〇〇と言う会社に幾ら幾ら支払いましたか?という内容だった。私が記憶が無いと言うと、数日後に詳しいデーターが入るので、こちらでも調べてみますが、お客様でもお調べ下さい。もしかしたら誰かが不正利用をした可能性があります、と言った内容であった。当然カードは即時ストップしたのであるが、私はアメリカでは何十回使ったが全て思い返せるだろうか、クレジットカード売上票や領収書も全ては保存していないから突き合わせても難しいだろう。ましてや、娘も使っていたので尚更難しいだろうと、この一件でカード社会の怖さを体感したのである。
結論は、私が事前に利用を了解していた、ある目的での娘の利用だったのであるが、社名や使用時間帯でグレーの利用を判別出来るとは、信用社会を守るシステムが生きている証でもあり、頼もしくもあった一件であった。こちらもほぼ誤判断であるとの認識後に、先ほどのカード会社から電話があり、〇〇とは大手航空会社の△△が何々の目的で利用されたものと分かりましたので、ご安心くださいと説明された。それは監視社会と言う又別の意味での怖さも見せてくれたのである。
もう一つが、ネットとカードの組み合わせ社会という事である。私はカードはほぼ抵抗はないしインターネットにたいしても同様である。しかし、カードとネットを組み合わせた支払には、ぐっと抵抗が増す。今回の旅行も支払いの選択肢がこの組み合わせでしか出来なかった処が多かった。国内では、アナログ(電話、面談、現金、ATM、紙ベース等)もまだ主流である。しかし、今後ますます、カード+ネットの組み合わせを利用しないなら海外へは行けません。あるいは団体旅行の一員でしか行けませんとなるのである。アナログ人は益々少数派になり、消費者としての価値を見出してもらえず、見えない壁に遮られ、そこに取り残される事になるのだろう。
なお、スマホ(ネット)は日本語カーナビとしてもその実力を存分に発揮し、その恩恵を十分に授かった。コレなしでは、とてもじゃないが行きたい所もまともに行けなかっただろう。
娘らの世代ではこのネット+金融+位置情報の熟知は当然のことなんだろう。今後の海外への楽しく、刺激的な旅の必需品は英語+スマホ操作と言えることはまず間違いない。兵頭