近畿地方に木枯らし1号が吹いたそうです。今日はいよいよ秋も深まったような天候、西高東低の冬型の気圧配置で、ここ松山も雲一つない秋晴れで風は結構強く吹いています。
風が吹いていよいよこれからと思うものが、我が家のケヤキとトウカエデの枯葉の問題です。
この2本のそれぞれ10m程の樹高の木はこれから紅葉し、それを見る人々に郷愁や安らぎを与えてくれます。それだけならよいのですが、妻はその落ち葉が道路や近所の庭に入るのが大変気になるらしく、1日2度ほど庭ほうきで掃き清めるように掃き取ります。私は大体気にしない方ですがら、何をそんなに神経質になるのかという思いから、いつもこの季節毎日ようにこの件で軽く言い争いになります。紙くずやタバコの吸い殻じゃあるまいし、自然の物を何でそんなに気になるのか私にはよく分かりません。先程のような効用とプラス・マイナスで差引してもだいぶプラスだろうと思うのでが、みなさんはどのように思われますか。木の葉が自分の家の前の道路に落ちていたら気になるでしょうか。S・H
先日、桑原地区運動会に4年連続で出場しました。種目はメーンエベントの年齢別リレーです。桑原地区とは桑原を中心として、東野・正円寺・畑寺・樽味・束本・三町そして我が松末町の8町で構成され松山の城東地区に属します。その8町の唯一の親睦事業として位置づけられているようです。
年齢別リレーとは、小・中学・10才代・50才代・40才代・30才代・20才代と世代の異なる7人が桑原小学校グランド1周約100mづつをバトンリレーするものです。我が松末は以前は予選レースで敗退していたようですが、数年前から決勝レースにも出場できるくらいレベルアップしてきました。
さて、予選レースを束本の次の2位で決勝レースに駒を進めた松末。決勝は5チームの第二コース。ここから、レース概要です。
第一走者の小学生の集団が第一コーナーに集団で飛び込んで行きましたが、松末の選手が転びかけ順位を落として4位で中学生にバトンタッチ。そこから順位変わらずで4位のまま10代に繋ぎ、そのまま50才代の私へバトンが渡されました。バトン渡しの直前4位の松末と5位の束本の差は2~3mほど。束本の50才代の選手は予選の走りから束本のポイントゲッターの様で、直線なら間違いなく私より速いと思われる人です。案の定、第一コーナーに入る頃には、私の右肩の後方で彼の弾んだ息遣いが感じられるようになりました。私は内から抜かれるのを防ぐため、ラインぎりぎりに体を寄せ80%ほどの力で滑りだけに気を付けて走ります。彼はほぼ100%の力でガムシャラに外から抜こうとしますが、カーブでは実力差が大きくないとそう簡単には行きません。
第二カーブを抜けて向こう正面の直線に入るや、私は一気に加速して100%の力で腿を上げ、後ろ脚を跳ね上げ、腕を強く大きく振って彼の追撃を振り切ろうとします。その間、ずっと彼の息遣いが右肩の後方から聞こえっぱなしで、たぶんずっと1mくらいに着いていたようです。第三コーナーから第四コーナーになるころには次第に彼の息遣いも聞こえなくなり、40代へバトンを渡すときには、元の2~3m位の距離があったようです。
4・5位で熱戦を繰り広げていましたが、悲しいかな全体の順位は変わらずまま。しかし、我が松末のセールスポイントいやストロングポイントはこの後でした。40代少年野球コーチで3位、30代自衛隊員で2位と着実に順位を上げて、ラストの20代の選手も速い選手で、その追い上げも相当なものでしたが、バトンを受けた時の1位との距離が有りすぎでした。結局1位と2位のゴールでの差は1mも有りませんでしたが、今年も常勝軍団畑寺の牙城を崩すことは出来ませんでした。
私は初出場時、いつもジョギングしているからと短距離を軽く考えていました。足が上がらない、回転が遅い、いわゆるマラソン走りで、おまけにゴール前では足がもつれる始末。この経験に懲りて、ジョギング時にも短距離ダッシュを何本か入れるようにしています。それ以来、この短いレースでは恥をかかなくてすんでいますが、松末のポイントゲッターにはなれていません。まあ、もうすぐ50代レースにも出れなくなる年ですので、出れる間は頑張ろうと思っています。
ちなみに、予選では1人抜いています。 S・H
30年ほど前の話ですが、武田鉄矢主演の「3年B組金八先生」の最終回、何回目のシリーズか忘れましたが、武田鉄矢が卒業式の日、生徒一人一人に将来どのような職業に就きたいかを聞く場面です。
気弱でおとなしそうな一人の卒業生が理容師になりたいと答えると武田鉄矢は嬉しそうに、そうか・・・。いいですか、頭だけきれいにカットするのではなく、心まできれいにカットして上げて下さい。
このシーンは、今でも鮮明に覚えています。