正月元旦、妻からの第一声「人生、楽しもう」で始まりました。私自身、この言葉が新鮮でワクワクしたのを覚えています。
4月17日から3泊4日の北海道旅行(道東)もその第一声がきっかけです。森進一の「襟裳岬」の歌詞に「襟裳の春はなにもない春です」と歌っていますが、その通り北海道の4月は花が咲いていないし、ジャガイモや玉ねぎはもう少し暖かくなってから種を蒔く時期で人もいないし、牛や馬もまだ寒いのか、放牧草が生えていないのか放牧していませんでした。この時期の北海道は本当になにもない春かもしれませんが、私が観た4月の北海道は広大で残雪の大自然の美しさに圧倒されました。
ココだけの話ですが、私が日本国内で一度は行って観たい場所は、布施明の「霧の摩周湖」の歌で有名な「摩周湖」です。その「摩周湖」が偶然にもツアーの3日目に組まれていました。前日、ガイドさんが明日の「摩周湖」は霧がかかるみたいですよと言うのですごく楽しみにしていたのですが、残念な事に私が観たものは「霧の摩周湖」ではなく「雪で真っ白湖」でした。
おけいさんより
(ゴールド)
先日、運転免許証の更新を行い、初めてのゴールド免許証(優良運転者の証であり、年を取ったら貰えるわけではありません、念のために)の交付となりました。5年間無事故・無違反の証明と言うことで、「へー、そんなに!?」とありがたく頂戴いたしました。逆に申しますと、私は18歳で免許を取って以来40年間で10回以上の免許更新手続きをしているのですが、3年以内毎に(事故者や違反者は3年更新の為)には必ず何か警察に止められていた訳です。それらは全て保険を使わない類のもので、ちょっとしたスピード違反やシートベルト未使用、一方通行逆走等の言わばうっかり違反のみのだったと思います。
免許更新の受講時間も30分(優良以外は2時間、これがそれ以上に長く感じる)と短く、更新手数料もすこしですが安くすみました。それと、任意保険も途中からでも割安になるそうですから、忘れずに連絡しておきましょう。
その講習の30分間は、飲酒運転の厳罰化と高齢者の運転免許のハードルを上げることのみに使われました。飲酒運転の厳罰化は例の事件、10数年前の博多の海上橋の上を走っていたワンボックスカーが飲酒運転の車に後ろから衝突されそのまま海中へ沈んで子供が亡くなった事件以来厳罰化の声が高まり、私を含めたまにはやっていた方が多数だったと思われます飲酒運転が最近は重大事件を起こした様な騒がれぶりです。高齢者の運転も確かに傍から見ていて冷や冷やするものが多く見られますので更新の厳格化には賛成ですが、免許証返上は自分だったら手足がもがれるのと同義語なので、そのためにも頭と体の健康には注意しないといけないと改めて思います。
私の運転免許ですが、まず単車を取りました。東京での1年目18歳の時、電車や地下鉄での移動が面倒くさくなり、上京後1ケ月後の5月には運転免許所へ通い始めました。当時は単車の暴走族が流行っていた頃で、世間の目は厳しかったようですが、その便利性と解放感に徐々にハマっていき、中年時の一番の楽しみになることなど、40年前の自分には到底想像つかなかったことです。(この5年間で四輪5万キロ、二輪5万キロの計10万キロの概算走行距離)
話は変わりますが、当初の目的と違い大きく価値が上がったものに、宅建主任者(現在は宅建士)があります。片手間(受験勉強は3ケ月間一生懸命しましたが)に取得した35年前はまさかこんなに役に立つとは思いませんでした。
時間は価値が無く見えるものを思わぬものに変える錬金術の如しだなとつくづく思います。S・H兵頭
(ブラック)
プロフェッショナルの定義は個人各々で異なるでしょう。例えば、プロ野球なら先般のWBCに出場した選手は間違いなくプロと呼ばれることに違和感はないでしょう。もっと言えばイチローや昔の王・長嶋はプロ中のプロと呼ばれます。でも2軍選手はプロではないかと言うと、やはりプロ野球人でしょう。すなわち、ここで言うプロとは、野球の技術や成績、キャリヤではなく、単に「野球で給料をもらっている」という意味しかありません。
この「プロ」の乱発は何もスポーツ界だけの事ではなく、ちょっと思いつくままに書き出しても、プロの料理人、プロのミュージシャン音楽家、プロ棋士、プロの作家・画家等ボツボツあります。(どうも余芸で突出した技能を有して人々を楽しませて、それで食べている人の事を指すようです)
一方、私たちの仕事は不動産業に係わらず他の業界でもプロという名称は普通は付けません。(余芸ではなく、実業ですから当然です。アマチュアはいません。)しかし、ほんの例外的に「プロ」と呼ばれる経済人もいます。それはその分野で断トツに飛び抜けて技能に優れた人に対する単なる呼称ではなくて、名誉ある称号なのです。
私は中学でプロ野球選手になるという夢を諦めてからしばらくプロと言う言葉には無反応だったのですが、不動産業界に入ってからは、この道を極めようと言う強い思い(と言うか、危機感だったように思う)から業界最難関の資格である不動産鑑定士をまずは目指したのですが、(これにより、現場と理屈の両面で学べると思いました)これは見事に落ち続けましたが、今振り返るとこの時の努力は無駄では無かったのかなと思います。実際、人生で最も勉強をした30歳台で、受験には役立たなかったけれど、あの時の知識は今も私の血肉に染み込んでいます。
負け惜しみも多分に入っていますが、「プロ」は私の憧れる呼称です。
*取り合えず説明しておきます。プロ=玄人(クロウト)=黒帯=ブラック ちょっとこじ付け気味でした。 S・H兵頭
(ピンク)
ようやく春らしく成ってきました。今年はどこも開花が遅いと言われています桜が今いたるところで一斉に咲き始めています。私のジョギングコースの石手川の河川敷の桜も満開です。もう少しすると、地面に落ちた桜の花びらと頭上に残る花びら間のピンクのトンネルの中を走れることになります。春の新緑と夏の深緑、秋の紅葉と共にこれが自然の中で運動することの醍醐味です。
これを自宅の庭でも味わいたいと兼ねてから私は思っていました。そこで昨年の晩春にDIY店で売れ残りでバーゲン価格が付いていた桜の苗木を4~5本買って植えたのです。しかし、水やりをおろそかにしてしまい、昨夏を超えられたのはその内の2本だけ。それにもめげず今年の早春にも1本を買い求め計3本体制でミニ花見で一杯をと期待していた春の訪れでした。しかし、どれもこれもピンク色のつぼみは見えず、本来ピンク色が出るところから緑の葉っぱが出かけているではないですか。(苗を植えれはどこでも咲くんじゃないのか。肥やしを与えたとは思えない校庭の見事な枝ぶりの桜を思い浮かべて、ちょっと首をひねる)
気を取り直して、今年は他所の桜で我慢することにして、ちょっとは桜の事も勉強して来春は必ず咲かそうと今は思っています。S・H兵頭
(ブルー)
10年近く愛用していた、自転車を手放すことになりました。トライアスロンやロードレースで使ってきて、カーボン自転車が来てからは主に朝練用に使ってきたのですが、このブログにも昨年11月に投稿した自損事故が故で止む無く廃車にすることにしました。後輪のギヤの取り付け部分がこの事故により曲がり、これを元に戻すことによりその部分が柔らかくなり、そこに大きな力が加わると破損し、最悪の場合下り坂で破損したギヤが後輪に絡まり転倒し、大けがをする可能性があると、行きつけの自転車屋さんに言われたので決心しました。
この自転車は私の初めてのスポーツ車で、取り合えず自転車を始めてみようと思った入門車(約10万円でした)でした。メーカーはイタリアのジオスというメーカーでジオスブルーと言う言葉がイタリアには有る程、ジオスと言えばブルーがシンボルカラーとなっているようです。勿論、私のものもブルーです。フレームはクロモリ(鉄の合金)で主な用途は街乗り、サイクリング用でしたので、乗り心地は素晴らしく、それは後から来たカーボン車に比べたら癒されるものでした。その分重く、ハードな使い方には不向きでしたが、カーボンの方がダメになった時は是非再度クロモリ車を探そうと思っています。(概算の走行距離 10年=500週、1週間50km走行、(500 マイナス カーボンでの代替走行100)×50=20000km走行。お疲れさまでした。)
今回の投稿により、S・H名でのブログ投稿は200回目の切りの良いものになりました。約4年前の100回目あたりを読み返してみますと、ちょっと肩に力が入っていると言いますか、今よりも気合が入っているようです。それにしても、100回目までが1年7ケ月間、後の100回が4年とは、間隔が2倍以上に伸びていることになります。ちょっと頻度を上げねば。 S・H兵頭