お盆中の事にはなるが、カナダに17日間行っていた高2の娘が無事帰って来た。行く前とどこが変った(成長した)だとうと色々見たり聞いたりしたが、カナダの良さはいろいろ話すが、そこはちょっと分からない。まぁ、今後の夢への一歩にはなったんだろう。健闘を祈る。
さて、お盆前に行った信州へのバイク旅の後遺症がまだ治らない。サングラスを掛けていたとは言え、何日も直射日光を浴び続けた私の目は未だに明るい光源は眩しくて見れない。そこで、眼科なるところへ生まれて初めて行ったのであるが、症状は大したことはないようであった。先生がビックリしたのは私の視力が2.0(右目のみ、左は0.9)あることである。60になってこの視力があるのは、非常に稀な例らしい。
酒の席の笑い話で話すのが、中学時代私の二階の部屋の窓を開け、100m先の中学校のプールの向こうの100mグランドのさらに向こうの道路端に立っている電柱にぶら下がっている裸電球のなかの光るクルクル回った小さなフィラメントの電線が見えたという本当の実話であるが、お前はケニア人かとか、当時は4.0あったんじゃないかとか、目だけは誰にも負けない自信があるとかないとかはなく、それが普通だと思っていた。今は俺の母親は麓から山頂の木にとまっている蝉が見つけられると言った冗談も、本気にされる始末である。でも、あの当時、視力甲子園があったらベスト4は行けたかもしれない。
学生時代も視力は2.0、悪くても1.5あったので、生まれつき良いのだろうけれど、40すぎのころに一度両目とも悪化して0.台になってメガネを初めて作ったころ、以前やっていた速読の目の運動を思い出してやって以来、定期的に行っているのが維持できている要因じゃないかと思う。難しいことではない。ただ目の玉を上下左右遠近と一回に1~2分、週3回ほどやるだけである。
今回の炎症は視力には影響なかったが、テレビも眩しくて見れない状態になる時間帯もある。又、今回の検査で白内障の気配がみられると言われた。目は大事にしたいものである。
トライアスロンの種目で何が一番きついか?と以前はよく聞かれた。全力でやれば全部キツイと答えていた。個別に言うと、ランニングは下半身全体、自転車は太もも中心に全身で脳内も酸欠状態、スイミングも全身で肺と脳内が酸欠状態と言う具合である。
今アジア大会の水泳競技をテレビでやっているが、水泳選手の体形は異常なものがある。手足の長さ、頭の小ささ、肩幅の広さ、胸と背中の異常な盛り上がりとその反対で腹から腰下の細さは同じ人間とは思えない。多分陸上での日常生活は苦手な人が多いのではないだろうか。気持ちも体もアザラシやイルカに近いのかもしれない。
スイミングはある意味ヨガ(やったことはないが)に似ているのではないか。力を入れればそれはハードな種目でもあるが、水中に浮いて体のどこにも負荷を掛けないという意味で、泳げる人が手を抜こうを思えば陸上のウォーキングよりもソフトな種目でもある。
こんな特性があるので、スイミングはリラックスしたい時に特に向いている。寝不足な時やイライラしている時、不安感がある時、ランニングをして下半身に疲労がある時は軽めに、嬉しい時、気分が高揚している時は強目にという具合である。当然屋内だから、寒い日、暑い日、雨の日は特に重宝している種目である。
昨日、甲子園大会が大阪桐蔭の春夏連覇と言う結果で終了した。私はこの夏は久しぶりに高校野球の中継を見たり新聞の結果を気にしたりした。
それと言うのも、愛媛代表の済美高校がベスト4まで勝ち上がってくれたからである。最近の我県代表は4年程前の安楽投手時代を除けば1回戦ボーイがほとんどで、実際今年も前評判は高くなかったが、意外と言えば失礼だが接戦に強く、ドラマティックな勝ち方も見せてくれた。
私が「おゃ!」と思ったのはエースの山口投手(171cm 68kg 私とほぼ同じで親近感が沸く)のポーカーフェイスぶりである。ピンチを迎えようがそれを乗り切ろうが、打たれようが抑えようが、無表情のままなのである。挙動も一定のリズムを持ち、やたらとキョロキョロしたりベンチを見たりロージンバックを拾ったりしない。打たれても打たれても低めのコーナーへ丁寧に投げ込んでいく。三振を取っても雄たけびやガッツポーズなどせず、口を結んだままマウンドを降りてくる。その雰囲気は40年ほど前に宇和島東が春に優勝した時のエースの小川投手を思い出した。勝負師の挙動である。素質はけた違いの物を持っている安楽投手もこれを持っていれば違った結果になったろう。この表情をテレビの画面で見てからもしかしたら、と思っていたら他の選手の活躍もあって素晴らしい結果となった。欲を言えば大阪桐蔭戦もアンラッキーなバウンドのゴロや当たりそこねの打球が内野の頭を越す等の不運がなければ、もしかしたらを十分感じさせてくれる準決勝戦であった。
7月決算の試算数値も出て、抱えていた売買仲介案件も一段落、ちょっと肩の荷が降りたところで、信州へバイクで行くことにした。この猛暑の時期にバイクでの旅は初めてだった。盆休みは高速道路がにっちもさっちも行かなくなるので、日本の酷暑も体感出来る8月初旬の4日間と決めた。それと、一か月前に脳梗塞で退院した友人の見舞を兼ねた旅となった。
初日 暑いけど午前中は何の問題もなく気持ちよく風が行くが、昼時に差し掛かった前日40℃だった名古屋辺りは「サハラ砂漠では涼しい位だろう」と気合を入れる。
11時間後に北軽到着。友人Iは多少のビッコは残るものの、元気そうだった。美食家の彼の日々の食生活は180度変わって、病院食の様な味気無さに、ブツブツ言っていたけれど、60になるのだから、これ位は当たり前だろう。今までがいい加減すぎた。東京に相当な財産を築いているらしいが、残す人もこれからの夢も無いんじゃ意味が無いと言うと、しばらく黙っていたようである。
その晩はキャンピングカー泊。いつもながら漆黒の闇の森の木々の間に光る星々が美しい。ここが27℃なんてめったにない。下よりは10℃は低いはずだから、下は37℃ということになる。
次の日は、Iの勧めもあって、戸隠に行った。日光の様なけばけばしさは皆無だが、日光顔負けの杉並木が2kmまっすぐに山の上に伸びて登り切ったところにちっちゃな社がある。日本有数のパワースポットらしく、若い参拝客も多い。たしかに、伊勢神宮に通じる神秘感を感じる。
戸隠といえば、神社とともに蕎麦が有名である。私は美味い蕎麦に目が無いので、当然期待して中社の横の蕎麦屋で昼食を取る。ぼっち盛りと言う一口ずつの小盛りが10コほど竹ざるにならべられており、てかてかと表面に艶があるそばである。当然美味い。それはそうと、私のバイクのナビのいい加減さには呆れかえる。どこへ行くか分かったもんじゃない。戸隠まで1時間は余分に山道を走らされた。その晩もキャンピングカー泊。
三日目はご近所のNさんにあいさつ。Nさんとは来る度に別荘におよばれするが、今日は初対面の隣のOさん夫婦も来られて話す。Nさん夫婦は横浜、Oさん夫婦は埼玉の何市か忘れたがそれぞれ2時間程度の距離で春から秋の間は行ったり来たりしているとの事。11時間それもバイクで!と驚かれるが、こちらは車では余りやって来る気はしない。それぞれ仲の良い別荘夫婦である。その後、Oさんに草刈り機を借りて土地の草を刈る。きれいに手入れされている敷地の隣が草ぼうぼうではちょっと申し訳ないので、いつも気にはなっているのである。
昼からは近所をブラブラして、歩き疲れて蕎麦を食べたりビールを飲んだりしたが、気になるのは明日の天気である。八丈島の南辺りに台風が来ていて、今夜からここ北軽も雨模様の予報。キャンピングカー泊。
四日目、4時半起床。キャンピングカー内を掃除して帰り支度。小雨が降っているのでカッパを着て出発。麓の軽井沢に降りると雨も止んでいたのでカッパを脱いで走る。10時ごろの名古屋辺りまで天気が悪く、かえって暑さも和らいで良かったが、昼からはいつもの猛暑で西日で照らされながら、午後四時半帰宅。
総走行距離1800km。これを書いている帰宅三日後の本日、唯一後遺症が残るのが、サングラス越しに強い日光に照らされ続けた目である。眼球が炎症を起こしていると思われ、しばらくバイクには乗れない。