日記

DIARY

  私は社会人になってから40年近く、不定期な旅行とか以外では週六日働いた。週休一日の休暇で体も頭も慣れている。特に休みたいと思ったこともない。サラリーマン時代に有給を取ったこともない。職場を変わる時も、辞めた数日後に次の職場に勤め出したので、職安の何とか手当も貰ったこともない。

 特にその時、その時の仕事が特別好きだったからでもなく、給料をより多く貰いたいと言うのとも違う。問題解決のやりがいや達成感が後押しをしていたことは確かだが、それだけではない。その様に生まれたとでも言った方がいいかもしれない。両親は一年366日働いていた(私の印象では)ので、週一の休みでも十分と思っていた。そんな私が先月から週休二日制と自らした。(もちろん、仕事の電話は私の休みに関係なくどんどん入ってくるが)

 これはちょっと素晴らし体感だ。週一休に慣れていた私の体と頭にとって、一週間が14日に、一ヵ月が60日に、一年が730日(まだ経過していないが)に時間が伸びて人生が長くなった感じがする。趣味もさらに増やせそうだ。

 

投稿日:2019/03/28   投稿者:-

 イチローが昨夜の東京ドームでのマリナーズvs.アスレチック戦で引退した。イチローを生で初めて見たのが2001年のアメリカ同時多発テロが起きた9.11の1週間後のマリナーズの本拠地セーフィコフィールドでだった。

 この時の状況はこのブログでも書いたので割愛するが、当時からつい最近まで彼は孤高の人を演じた人だった。そうしなければ、アメリカで勝ち抜き生存出来ないと考えていたのだろう。やっと地の彼の姿が見え始めたのは、ヤンキースからマーリンズへ移った5~6年前からだった。それは彼の成績が落ち始めてから数年後だった。しかし、その時点で押しも押されもしないメジャーのビッグスターの一人となっていた彼はもうミステリアスな虚像を自らに創らなくても周囲から一目置かれる存在になっていた。しかし、真の「イチロー」はそこで終わっていた。

 それ以後の彼は野球を真剣に楽しむ姿に変わっていった。この野球少年は常に自分を律しながら時にはおどけてリーダーシップを発揮していった。それは以前のイチローに唯一足りなかったピースだった。

 なぜそのピースを加えると戦えなかったか、彼の地でのプレッシャーや差別や圧倒的な体格差は実際戦った彼にしかわからないだろう。周囲(チームメイトをも)を敵とみなして、頑なな姿で防御していた彼は、そのワンピースを加えて、白髪短髪の頭の老兵の外観と合わさって、東京ドームで満場のスタンディングオベーションを受けながら、味方となった相手チームに挨拶をし、味方チームとハグを交わして戦場という遊び場から去っていった。

投稿日:2019/03/22   投稿者:-

 八方尾根は松山から車で800km、10時間。当日は快晴、北アルプスの峰々が雪を頂いて眩しい。黒菱の最終リフトを降りて小山を上ると向こうには黒部ダムや黒部川が見下ろせるらしい。私は登ってないので、次回の楽しみにしたい。

 昼時にスキー場のレストランへ入ると、まるで外国へ来た様な気になる。4割が白人(主にオーストラリアから)3割がアジア系の人たちで、日本人は少数である。レストランの従業員も外国人が多い。噂には聞いていたが、コース上では帽子、ゴーグル、マスク等で国籍不明だったが、ここに入るとよくわかる。同宿の風呂で話しかけた人もオーストラリア人の私と同年輩の人で、10日間この白馬に滞在してスキー三昧の日々だという。wellcome to Japan,しっかり日本を楽しんでください。でも外国人がいないとこのスキー場はやっていけないな。滑りはと言うと、当時は恐れおののいた最上部のコブの壁もぎこちないながら降りてくること数回で、壁克服の成果は出ていると思う。

 さて、帰松後の1週間後の休みとさらにその1週間後の先日の休みに石鎚スキーへ今シーズン営業最終日らしいので、とりあえずの滑り収めをしてきた。8ケ月後の来シーズンが楽しみである。完全に再ハマリとなっている。

 

投稿日:2019/03/10   投稿者:-

 1ケ月ぶりの投稿である。話題がなかったわけではないが、ついつい書きそびれた。このひと月は休みのたびにスキーに行っている。残りシーズンも少ないので楽しみたい。

 この間は長野の八方尾根に行ってきた。その昔、スキーヤーの聖地として憧れと恐れを抱かれたところである。八方尾根で滑っているというだけで、人は羨望の眼差しを向けた。そういう私もズブの初心者の時一度だけ訪れたことがあるが、頂上付近の兎平や黒菱の人の下半身を隠すほどの急斜面のコブの壁や全長8km、標高差1kmの長大なゲレンデを前に自分の技量では楽しめないとそれ以降訪れる機会がないまま他のスキー場へは頻繁に通いったが、自転車を初めてからはスキーを履くのを止めていた。

 40年ぶりのそこは、北国でも雪不足が伝えられる今冬でも全山真っ白で、遠くまで来た甲斐があったと思ったのが第一印象だった。当日は特に午前中は雲一つない快晴でまさに「極楽スキー」状態であった。バブル真っ盛りでスキーブームのころに流行ったスキー中心の軟派な生活を描いた本の題名である。

 さて、なぜスキーを再開したか。これはなぜ止めたかの訳を再度検証しなければならない。要するにつまらなくなったのである。自転車を始めてスピード感が近いので手軽に出きる方に移っただけ、という当時のそして先月までの理由を再考してみると、スキー技術が中途半端のままでそれ以上の上達がずっとなかったという事実に向き合わざるを得なくなった。私にとって物事全般、上達することが楽しいのであって、停滞は興味を無くすものである。

 先月久しぶりにやったスキーも初めは停滞期のままのスキーであった。板やスピードのコントロールもアバウトなままのものであった。それでも末娘と来ているという満足感だけで流していた。多分一人では又しばらくやらないだろう、と思いながら滑っていた。

 しばらくそれなりに滑っていると、当時の教則本や上級者から聞いた事の内容が次第に思い出されてきた。前傾姿勢、腕の出し方、内足の上げ方、回り込んだ時の両足の踏み込み具合、そしてコブの超え方等の頭の中にしかなかった忘れていた知識が時間を超えて鈍りかけた頭の隅から細い細胞を伝わって蘇ってきた。机上だけでは絶対に蘇ってこないことが、体の記憶と頭の記憶の相乗効果で蘇ってきたんだろうか。これらは当時、文字で読んでも体で実践できなかった技術が、今はストンを腑に落ちて、完全ではないが実践できるようになった。自分の中でスキー技術の一つの壁を越えた気はするが、上達しなかった時間は何だったのか、不思議である。

 ただ、壁は超えたとは言え、体に覚え込ませなければ色々な雪質や斜度やコブの状況では昔のままのアバウトな自分が出てくるので、しっかり練習をと思っている。

 というわけで、自己紹介の趣味の欄に「スキー」という文字が復活する予定だ。

 

 


投稿日:2019/03/07   投稿者:-