2017年元旦に松山からスタートした当企画は、2021年末までの4年間でフランス・リヨン迄到達した。そして先月末までの半年間でさらに1,277kmを走破している。
この半年間の走破距離は前年一年間の3,135kmに比べて、年間分に倍しても80%強にしかならない。この一番大きい理由は、本ブログでたびたび書いているのだが、私自身だんだん疲れが翌日まで残るようになったこと。それと、この疲れの蓄積が血圧高にも影響があることが分かったことによる。従って、今年になってから私は従来週1日だった休みを2日取るようになり、運動回数が減ったことが距離減の主因である。
今年前半の運動移動距離は以下の通りである。
自転車 18回 × 25km = 450km
山歩き 37回 × 7km = 259km
ウォーキング 27回 × 7km = 189km
スキー 9回 × 20km = 180km
ジョギング 21回 × 7km = 147km
スイミング 26回 × 2km = 52km
計 138回(日) 1,277km
この企画の当初の目的地はシベリア鉄道の終着駅モスクワであったが、’20年6月末に到着した。そこから何処へ行こうか思案した結果、更に西進して第二目的地をユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬とした。そして昨年後半でモスクワからフランスのリオンへの1750kmを走り到着したのである。
さて、ポルトガルの西端のロカ岬であるが、「ここに地果て、海始まる」との碑がある断崖絶壁の岬へ、フランス南部のリオンからどの様なルートを取れば良いかを調べた結果、リオン→バルセロナ→マドリッド→リスボン→ロカ岬に決めた。一見サッカーの有名チームが所属する街を巡るルートの様にも見えるが、これはたまたまであり、このルートが最も知名度から分かりやすいと思ったのが選定理由である。結局ヨーロッパでは一緒の事であるが。
そして、リオンを’21元旦に出発したバーチャルの私は、地中海まで南下し、海沿いに西へ進むこと500kmでバルセロナに到着。そこから更に内陸に入り西方へ600kmでマドリッドへ到着。市内観光もそこそこに余った177kmでマドリッドから北方の街サラマンカへ到着した。
ここサマランカは、街全体が世界遺産に登録されている中世の街並みが有名な処で、ヨーロッパ最古の大学もあるらしい。日本でいえばマドリッドが東京なら、サマランカは京都・奈良と言えようか。
ここからロカ岬までは400km。お盆には到着しているだろうか。兵頭
今、いろいろ世間で話題の新型コロナのワクチン注射を打った。近くの個人病院に行き、受付を済ませて少し待っていると、奥に通された。診察室に入ると、男性の看護師が既に診察テーブルの前に座って待っており、私が「よろしくお願いします。」と言って彼の前に座るや否や私の左腕をアルコール消毒をして、テーブルの上のプレートに入っている3本並んだ内の一本の注射器を取り上げて、すぐさま私の腕に打った。打ったと言うよりも刺した。そして、私は注射器の中の薬を腕に注入する為の数秒間の我慢の為に息を止めようとした瞬間、注射器は既に抜かれていた。私は「えっ、終わりですか?」とテーブルの上の残りの注射器を見ながらその看護師に問うたが、「はい」と彼はさらっと言った。前宣伝の大きさから、どんな大層な注射だろうと、気を引き締めて臨んだのだが、拍子抜けとはこのことである。
しかし、注射針が抜かれた瞬間、私は体に異変を覚えた。これが、皆が恐れる熱が出る前兆だろうか、副作用の前兆だろうか。平常時と明らかに感覚が違うことは明らかだ。足元に気を付けて、控えのソファー椅子に座ってから私はこの考えを変えた。これはたぶん、自分の免疫機能が瞬時に反応し、異物侵入に対して総攻撃を仕掛けた時の体内での攻防のリアクションじゃないのかと。
このリアクションによる軽い酒酔いの状態のままでの、長距離の単車移動予定をキャンセルし、近くの自宅まで十分注意して帰宅し、即刻体温計で熱が有るかを確認してみた。さらに30分後に再度計ってみても平熱のままだったので、やはり私の仮説は正しかったのだと、自分なりに(もちろん医学的ではなく)確信した。そして、注射後1時間でその違和感も止んだのは、私の免疫機能が異物との格闘を止めたのは無害であることを証明出来たので、体内侵入を許可したのだろうと考えた。これが私の新型コロナウイルス接種の一部始終と感想である。
これは、今まで何もなかった、世の中そういう人が99%以上なのではあるが、車の跳ね石に当たって死ぬ人もいるだろうから、ヘルメットを歩行時も事前に被るみたいなもので、そしてこれが重要なのだが、テレビで見ると、この注射が移動のパスポートになると世界では思われているようなので、ならと私も刺したのだ。兵頭
今年から始めた、「新しい事」についてその後を記しておく。
まず、4月ごろから始めた「英語学習」である。これは朝夕二回に分けて2~3時間程度、楽しみながらやっている。スタートしてから3ケ月以上経ったので、一般的に辛抱だけではこれ以上の続行は難しいかもしれないが、上達感を味わえるという楽しみがそれに加わることにより、さらに進んで行けそうである。それに、自分に与えられた使命を達成するためには、その技術は必須であると私自身信じていることが、その辛抱・我慢を支える根底にあるのは間違いない。
英語学習を続けていて、改めて重要であると感じていることが幾つかあるので挙げておく。まず、5つある文型の理解の重要さ。その昔はこの重要性を軽視しており、今思うとそれはまるで英語のジャングルの中を地図と磁石なしで行き当たりばったり、あてどもなく彷徨い歩いていた感じだ。それと、単語である。これは高校時代も単調なので考える集中力が不要だと思い、力を入れていたのであるが、今になって単語を覚え直すなんて、あの頃は考えもしなかったなぁ。
それと、英語発音の癖を覚え、後は数をこなして耳を慣らす事であろうか。私の今のレベルではこれくらいの事しか言えない。1年後、更に数年後には又別のレベルの重要性を見つけていることだろう。
次に、「裸足ウォーキング」である。これは始めて1ケ月くらい経った。早朝に5~6度やったのだが、だいぶ足裏の感度も鈍くなって、ここ1~2度は軽いジョギングも出来だした。
私のこのウォーキングは、体が疲れている時や運動するのに気乗りがしないとき、しかし休むのは罪悪感を感じている時にやってきたのである。効果はヒーリングと足裏のマッサージ効果である。小一時間裸足で芝や土の上を歩くとその後の半日、足裏の温か感が持続する。
私の方法は、つま先立ちで歩いたり走ったりするのである。その方が着地する足の面積が半分になり、足裏が刺とかを踏む確率が半分になることと、さらに普通のウォーキングやジョギングのように、かかとで着地するとかなり体に衝撃が伝わるのである。ここでも靴のガード面の有難さがわかるのである。
いずれにしろ、この裸足ウォーキングは即効性はないものの、継続し易いし、継続すれば必ずゆっくりと効果が出てくるだろうとの、私の見通しで今後も続けて行くつもりである。
今年始めた「新しい事」はこんな感じであるが、一昨年から始めた「海上スイミング」も梅雨が明け、猛暑になったら是非楽しみたい「少し前の新しい事」である。兵頭