「勇気をもらう(或いは、あげる)」この「もらう(あげる)」の表現の仕方が、常々私の頭に引っかかっていた。英語初心者が原文を直訳した様な、或いは歌詞の様な、この言い回しは勇気と言う気持ちを、物に例えているようで違和感をもっていた。
本来は、「勇気付ける(付けられる)」が正式な言い方だと思うが、「世は言葉に連れ、言葉は世に連れ」だとは私も理解しているつもりなので、違和感があっても軽い若者言葉の一つであると理解していた。
しかしある時、私はこの若者言葉がしっくり来る場面に出会った。それは休みの早朝、気になるメジャーリーグの大谷選手の情報を得ようとスマホで今現地でやっている試合経過を見てみると、なんと初回にホームランを打っているではないか。
この時は確かに、「勇気をもらった」の気持ちだった。意訳すれば「元気をもらった」のであり、それは「勇気付けられた」のでも「元気付けられた」とも違った。
もらったりあげたりする「勇気」は、振り絞る様な一世一代の大層なものではなく、今日を乗り切る程度の「元気」の事なのである。
しかしである。彼のホームランは私にとっては、正直なところ今日一日を元気に乗り切るカンフル剤的なものと言えるが、例えば病床で重い病気を患っている彼の大ファンの少年にとっては、このホームランはもっともっと意義深く大きいものであろう。この場合は間違いなく「大谷選手のこのホームランは少年を勇気づけるものであった。」になるであろう。
東京オリンピックが終わった。祭りが終わった気分だ。この空虚感が又いいんだな。初秋なら更に物思いに耽ったりして良かったのに、少々残念。これから、甲子園、パラリンピックと熱いスポーツイベントが続くので、感傷に耽るのはそれらが終わってからにしましょう。
さて、私はオリンピックで真面に見たのは、野球の「日本VSアメリカ」の予選と決勝の二試合で、これは個々の力量はメジャーリーグのレベルには無いが、試合は引き締まり時間を忘れさせる大変すばらしいゲームだったと思う。後は陸上競技と水泳を断片的に見ただけだったけど、それらもそれなりに満足出来た。野球の「日本VS韓国」も興味を持ち見始めたものの、韓国選手のアピール?クレーム?か知らないが、その多さにウンザリして観るのを止めた。文句を言わないと済まない人達なのか、興ざめであった。
閉会式のニュースの後に、世界陸上競技連盟のコウ会長(彼が現役時代、私はファンだった。彼を観てからそれまで短・長距離に挟まれて、私的に日陰的存在だった中距離走800m、1500m走に興味を持った覚えがある。)が、「この状況下で開催してもらい、選手たちは東京に借りがある。世界陸上をこの国立競技場で開催して、満席にして恩を返したい。」とのニュースを見た時、目頭が熱くなった。苦労している時に手を差し伸べるのが、友人である。4年後の大会が私の中で特別な色を持つものになった。兵頭
第二回目の新型コロナワクチン接種に昨日妻と行った。私は一回目同様、せいぜい注射直後の軽い酒酔い状態と、今も残る腕の弱い筋肉痛らしきものがその名残である。ただ、副作用発生は若い人ほど確率が高く、20歳代で50%らしいが60歳代になると10%程度らしい。よって我々世代はそもそも副作用の確率は圧倒的少数派らしいのだ。用心しただけ無駄だった。
この二回目の接種で95%程度、私は新型コロナの予防確率を持ったとされてる。これで1週間後にはパスポートを得たとして羽を伸ばせるのかな? それとも来年の三回目まではダメなのかな?兵頭
PS. 上文は今日の午前中に書いたものであるが、昼食まではスッキリしていた頭が、なんだかほろ酔い状態が戻って来てそれも強まり、体の怠さも強くなった。今思い当たるのは、今朝のウォーキングである。
今朝、末娘と河川敷のいつものコースにジョギングに出かけた。娘の方は予定どおりいつもの往復をこなしたのであるが、私は念のために裸足ウォーキングに切り替え1時間ほど芝生の上を歩いた。それでも着ていたTシャツを替えなければいけない位は汗をかいたのである。もしかしたら、これが原因だろうか。いずれにしろ、これを書いている現在も、接種後24時間経っていないのであり、症状は微妙な感じである。やはり用心せねば。
PS.2 午後から次第に悪くなっていった私の体調は、その夜ピークに達したと思った。体温計が手元に無かったので正確には分からないが、その昔インフルエンザ発病時に39.5°を計測した時以来の熱を、体に感じたからだ。とにかく熱いのである。しかし、その体感熱気にしてはしんどくないのである。気分は多少熱があるなぁ、程度であった。
これが、真の病気の風邪の高温との違いかと、体感出来たのは不思議な体験だった。巷で言われているように、私も常備している市販の風邪薬を飲んで、熱いながら普通に夜を過ごせた。そして、今朝は平熱に戻っていた。若い人ほど副作用の確率が高いと言う事なので、気持ちはまんざらでも無かった。