昨日は充実した休日だった。朝、スキー場へと山を車で登って行くと、メイン道路には相変わらず全く雪がない。そこで雪を求めてスキー場へ残り1Kmほどに近づいた頂上付近で、私と車は脇道に逸れ、そこをさらに登って雪の感触を車上から感じていた。道は細くなりUターン出来るの場合も無いので、バックで下り始めるといきなり滑り始めた。取り敢えず止まった車の運転席から恐る恐る右下を除くと路肩も見えない程、道路の端まで滑っていたのである。私は運転席の窓を開け、下を覗くと崖と車の間に人が横歩き出来る隙間はあるので、ギヤをパーキングブレーキに入れサイドブレーキも目一杯に引いてから、ゆっくり車から降りて後方さらにくるっと回って前方に回ってみると、四輪のタイヤ全て斜面上の氷の上に乗っているではないか。歩ける場所も凍っている箇所が多い。
この状況でスタッドレスタイヤと言えど下手に登り方向で回したら以下の様になるだろう。タイヤは空転して横滑りし右後輪から崖に落ち、続いて右前輪、次に車はお腹を崖面に当てながらズルズルギシギシと大きな音を立てながらスローモーションのように横転して谷底へ。運よく5m下の杉の木に引っかかっても逆様のままで私は脱出しないといけない。しかし、あの太さの木くらいでは車を支えきれないだろうから、私を乗せたルノーカングーは谷底へ三転四転しながら到着するだろう。従妹よ、車をまともな姿で渡せないでゴメンね。
色々思案した挙句、ここからスキー道具一式を担いでスキー場まで1km歩きスキーを楽しんだ後、午後氷が緩んだ時間帯にここまで戻り脱出する方法が頭に浮かんだ。しかし、1kmの山道を道具一式担いで上がるのはチョットしんどいなと思い返し腹を決め、一か八かチャレンジする事に決めた。
私は免許証、財布を路上に分かりやすい様に置き、スマホのみをポケットに入れ、スキー用のヘルメットを被り恐る恐る運転席に座った。そしてゆっくりと大きな息をして、エンジンを掛けギヤをバックに入れてエンジンブレーキと軽いフットブレーキでゆっくりゆっくりと下って行った。氷が無い場所まで来て助かったと思った。
帰り道、徒歩で今朝の氷道を確認したが、北斜面の道のせいだろう、午後でも氷は解けていなかった。
それからの私は、スキーをいつもより上手く滑り、リフト上では読書の代わりにスマホで英語リスニングの学習をし、夜は今話題の「ドライブ・マイ・カー」を妻と観に行った。噂の通り良い映画だった。そして良い一日だった。兵頭
2017年元旦に松山からスタートした当企画は、2021年前半でスペインの古都サマランカまで到着した。サマランカの半年前はフランス・リヨンに居た。此の地は末娘の調理留学先だったために選んだのであるが、当の本人が既述の通り行先を米ロサンゼルスに替え(現在居住中)た為、リヨンはアッサリと通り過ぎたのである。しかし、その後たまたまテレビで見たのであるが、リヨンはやはりフランス料理のメッカなのであろうか。数か月前にフランス料理の団体世界戦決勝(日本が2位)と本日に個人戦(日本?位)をリヨンで開催していたのである。娘も勿体ないことをしたのではないか、本物に触れる機会を逃したのなら。
さて、昨年後半の運動での移動距離は以下の通りである。
スイミング 26回 × 2km = 52km
ジョギング 19回 × 7km = 133km
自転車 22回 × 25km = 550km
山歩き 28回 × 7km = 455km
ウォーキング 36回 × 7km = 252km
計 131回 1183km
サマランカ(スペイン)より取り敢えずの目的地であるユーラシア大陸最西端の地、400km先のロカ岬(ポルトガル)を目指す。岬で雄大な大西洋を眺めた後、さて更に海を渡ってアメリカ大陸へ行くか、南に下ってアフリカ大陸へ行くかであるが、私はアフリカ大陸を選んだ。今読んでいる英語の原書「アルケミスト」がスペインの羊飼いの少年がエジプトのピラミッドまでを旅する物語でありその後を追ってみたいのと、あこがれのパリ-ダカールラリーのコースも辿ってみたかったからである。
サマランカからポルトガルの首都リスボンを経由して、スペインのアフリカへの玄関口タリファ(ロカ岬より430km)に向かう。ここからジブラルタル海峡(狭い所で幅14kmである)を挟んでアフリカ大陸の玄関口モロッコのタンジェールへと渡る。そこから今回の終着地であるカサブランカまで300km、本来なら手前47km地点が運動距離としての終点であるが、誤差の範囲としてサマランカより合計1230kmである此の地を終着点とする。
カサブランカはご存知映画「カサブランカ」の舞台でもある。私も大学生の頃から数回観たが、当時も今も印象は変わらない、全くガッカリしない名画である。ハンフリー・ボガードの耐える渋い大人の男は、健さん(高倉健)と通じるところもあるが、スマートさではボガードが上だ。 ウィキペディアによれば、ここはモロッコ最大の大西洋沿岸の都市で、アフリカでも有数の大都市とのこと。人口400万人以上(2014年)だから大阪市や名古屋市の2倍近い規模である。映画の印象ではこじんまりした小都市のイメージであったのだが、この様な背景があったとは意外であった。
2017年元旦から丸五年で松山からカサブランカまでやってきた。この後は、パリ-ダカールラリーのコースを辿り、エジプトへと行く事にする。 兵頭
私は「男はつらいよ」の車寅次郎、通称寅さんの大ファンである。今だに毎週土曜日夜にBSテレ東で再再再-----放送される番組を全く飽きもせずに見ている。この放送が流れる時間帯は家族皆(そうでもないかもしれないが)これが好きなので、我が家は平和である。次男を平和(二人ともそばにいるだけで、ほっこりさせる、という意味)つながりで彼を呼ぶとき、モノマネ口調で「おぃ!寅」と呼んでいる位である。この寅さんが旅の道中で愛用しているものとほぼ同型の古い鞄を先日手に入れた。
今春、私の生まれ育った実家の古家を取り壊す事になった、その家の中にあるたくさんの家財道具を今、従妹夫婦等に手伝ってもらって処分している最中なのであるが、その中にこの鞄があったのである。それも大・中と二つ。先祖の誰が使っていたのかは分からないが、寅さんの鞄にそっくりなのだ。
しかし、埃だらけは良いとして、全面革なのでシミやムジが食ったような小さな穴がたくさん空いていたり、取っ手が外れかけていたり、第一鍵が掛かっているので中を確認も出来ない状態なのである。
私はとりあえず水道の流水で全体をサッと洗い、ゴミや埃を落としてすぐさま乾いた布で水分を拭きっとった。そして完全に乾いてからミンクオイルを刷り込み、今放置しているのだが、そのうちこの様な革製品の修理を専門でやってる所で直してもらおうと思っている。
直って来てからどうしようか。寅さんと同じく「風転」になって、うちの寅といっしょに大と中の鞄をそれぞれさげて、全国のお祭りを訪ね歩こうか。桜前線に沿って北上するのもいいな。オブジェとして飾るのだけは止めよう。やはり、つば付きの帽子と腹巻、雪駄は必需品だな。そこで、お馴染みの口上を一つ。
「わたくし、生まれも育ちも、葛飾柴又。帝釈天で産湯をつかり、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフウテンの寅と発します。」でも、似合いすぎるかもしれません。兵頭
いつもながらの遅い新年のご挨拶ですが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さらにいつもながら、慌ただしい年末年始はとうに過ぎて、すっかり日常の流れの中に浸かっております。
昨日、今シーズン初めてスキーに行った。昨年11月にジョギング中に右膝を痛め、それ以来運動と言えば草地でのウォーキングか水泳(平泳ぎは膝が痛いので、クロールで軽くバタ足をするか、バックなら全くOK)しかできない。それなら、スキーならどうだろうか?と膝のテストを兼ねて近くのソルファ小田スキー場へ行ったのである。
予想に反して痛くない。もちろん転倒して膝をひねったり、コブでのジャンプは一発アウトだろうから、無理はしない。滑走のみなら全く支障がない事が判明した次第である。
さて、11月20日にスタッドレスタイヤに履き替えてからもう3ケ月目、今回のスキー場行き帰りでも実質不要だったスタッドレス。路肩の薄く残った雪の中にワザと突っ込んでも気分は晴れない。スタッドレスも私も心の中で言っているよ、早く雪景色の中を走りたいと。←還暦遠うに過ぎても犬か小学生並みだな、自分で言うのも何だが。兵頭