日記

DIARY

 2017年元旦、松山からスタートした当企画は、2021年末まで5年間を掛けて、日本列島縦断からロシアの東端ウラジオストック→ポルトガルのロカ岬までのユーラシア大陸を横断、そこから南下してジブラルタル海峡を渡りアフリカ大陸の北西の国モロッコのカサブランカまでやってきた。

 さて、今年の前半の運動での移動距離は以下の通りである。

 山歩き    44回 ×  7km = 308km

 スイミング  22回 ×  2km =  44km

 自転車    25回 × 25km = 625km

 ウォーキング 31回 ×  7km  = 217km 

   スキー             5回 × 20km = 100km

 計     127回         1294km

 

 半年前の同タイトル’21年後半の最後に、「この後はカサブランカからパリ・ダカールラリーのコースを巡り、エジプトへと向かう。」と書いたが、これは当時の私の認識不足で、そもそもパリ・ダカールラリーのコースは毎年変更され、かつアフリカ大陸の内陸奥深くへ大きく入ったり海側に出たり又入ったりの繰り返しのコースで、一般的な大西洋を右手に見ながら地図上でほぼ直線のコースを南下するルートと大きく異なることになる。この直線ルートでも2000km以上ある上、目的地のエジプトは真東方面なので、どんどん離れていくことになる。 従って、南方のダカールには寄らずにカサブランカから東にルートを取りエジプトを目指すことにする。

  さて、モロッコのカサブランカから東へ約1000kmのアルジェリアの首都アルジェへ行く。ウィキペディアを要約すると、「アルジェリアは紀元前から多くの国の植民地とされてきたが、第二次世界大戦後の独立戦争でフランスに勝利してから独立国になった。その首都アルジェは海岸付近の低地に発達した近代的な部分と高台にある古都部分に分けられる。海岸部分は、北アフリカのパリ、と呼ばれるようにフランス統治時代の白壁の建物が立ち並び、高台部分の旧市街はイスラム風の建物やモスクが多い、とある。この街はとても印象深い小説「異邦人」カミュ作の舞台でもある。この小説にでてくる有名な不条理な場面、北アフリカの地中海沿岸の舞台と共に今も思い出される。

 次にこのアルジェから東へ約300kmのアルジェリアの第三の都市コンスタンティーヌへと向かう。ここは海岸沿いの街アルジェから内陸に80km入った山中の断崖の上にある小都市(人口50万人ほどで松山並み)で、街の周囲が深い渓谷に囲まれているので、他からこの街に入る為の8本のつり橋がある。街並みはアルジェの海岸沿いの街と同じフランス領時代の建物が多いらしい。都市名は紀元前の支配者ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌスに由来している、との事。

 ここで、今回約1300kmは終わるが、やはりアフリカは広い。こんな机上の旅でもその広さを感じる。その点ヨーロッパはあっという間に通り過ぎた気がする。次回はさらに東に進みチュニジア、リビアへ。取り敢えずの目的地エジプトは次々回の1年後になるのかな。兵頭

 

 

 

 

投稿日:2022/07/15投稿者:-

  昨年の梅雨が2ケ月もあったせいで、3週間程しかなかった今年の梅雨は全く物足りなく、これから台風シーズンまでの水不足が心配である。

 しかし、梅雨明けを待っていた私はその宣言後すぐに北軽井沢へ飛んだ。もちろん前号で書いた赤雷神を車に乗せてである。実証したかったのは 昔、山口百恵で流行った「プレイバック パート2」♬緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ→ドカッティでも絵になるかどうかであった。

 答えは直ぐ出ました。北軽の樹々の緑のトンネルに似合うのは、赤いポルシェではなくてやはり赤いバイクのドカッティでした。もし車なら赤いポルシェのオープンカーでしょうか。

 さて、下界のうだるような暑さをよそにと言いたい所ですが、今年はここでも、日陰は涼しいけど日差しに当たるとやはり暑かった。しかし、やはりバイクを走らすと十分涼しく、草津白根山頂では流石に寒く上下の防寒着として雨合羽を着たくらいである。ここからは、遠く残雪の北アルプスを望むことが出来ました。

 奥志賀から野沢温泉までの林道も、これでもかと言うくらいのカーブの連続で、コーナリングの1000本ノックかと言うくらい多くのカーブがありました。もうしばらくはコーナリングは腹いっぱいである。

 いつ来ても、バイクの一人旅の期待を裏切らない信州、上州路、又紅葉時に来てみたい。兵頭

PS.北軽の滞在中、息子夫婦が東京から訪ねて来てくれた。東京から2時間と近く、すっかりここの自然を気に入ったみたいだ。いつでも使って貰いたいと思う。

 

投稿日:2022/07/11投稿者:-
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