めっきり春らしくなってきた。スキーは来シーズンのお楽しみに仕舞っておこう。電気代の高騰もあって大活躍だった薪ストーブもそろそろお役御免だ。そろそろ来年~再来年用の新しい薪を作らねば。バイク用の厚手の上着とズボンは取り敢えずバイクの後ろのボックスに入れて、いざと言う時いつでも取り出せる用意は必要だ。
「スティング」のコンサートへ行った。観客はオジサンばかりと思っていたが、思ったよりも年齢の幅が広く、女性も多かったのには少し驚いた。やはりカッコよかった不良青年→不良オジサンのイメージ通りの年の重ね方をしており、外見は引き締まっており、今でもカッコイイ。声も高音の鼻にかかったハスキーボイスは相変わらずで声量もあり、休憩なしで2時間ノンストップのステージはとても70歳代とは思えない。日頃のトレーニングは相当なものであろう。私は「イングリッシュマン イン ニューヨーク」を聞きながら、彼がオープンのスポーツカーに乗りスコットランドの丘陵地帯のワインディングロードを流している姿を想像していた。
実は私はそれほど彼のファンでも無かったのだが、個性的な曲と歌声は当時から聞き馴染んでおり(実際大半の曲は知っているものだった)、久しぶりのコンサートでこのビッグネームが来ると言うのですぐさま予約したのである。行き好きで、昔の曲をよく聞いている娘にも声を掛けて二人で行って来た。兵頭
職場の近くの幼稚園の庭のピンク濃い早咲き桜はもう満開に近くなり、今日から3月。
今朝の朝日新聞の天声人語で「ユーミンは名曲『卒業写真』で歌った。🎵人ごみに流されて 変わりゆく私を あなたは ときどき 遠くでしかって----------------中略------------------------あの頃の生き方を あなたは忘れないで🎵。あなたとは誰だろう。かつては憧れの異性のことだと思って聴いていた。でも今は、18歳の自分だと思う。変だろうか。」とこの筆者は述べている。
ここは私も昔から気になっていた処で、私もこの異性の事だとばかり思っていたのだが、ある時女子高生の彼女はこれではおかしいとのネットの何かで読んで、そこには恩師だろうを書かれていた。あ、なるほど。それ以来私は、この曲を聞くたびにシスター姿の恩師を思いを浮かべていたのだが、でもやはり曲の他の部分(街角で見かけたあなたが、昔と少しも変わらなかったので声を掛けられなかった)を聞くと異性の方がすっきりするし、と釈然としない思いを持っていた。
そして、この「18歳の頃の自分」と言う新説を新聞で見て、なるほどと膝を打ったのである。これなら詩にさらに深みも出て来る。しかいやはり異性と同様に曲の他の部分と整合性を欠くな。
そこで私が考えたあなたが、以下の人である。あなたとは、熱い思いが詰まった光り輝く時代のこと、この思い出の中の友達も異性も恩師も自分を中心に輝いて生きていた時代のことである。この様に解釈すると、詩はかなり壮大なものになり、聞く者に飛躍した想像力を要求するようになるけど、ちょっと広げすぎかな。
やはり、素直に読んで、あなたとは近くの男子校に通う異性がいいだろう。数分の歌の中に映画の様にいろいろ押し込むのは無理があると思う。私はこの説に賛成だ。
さて、今春卒業する生徒は、入学式から3年後の卒業式までコロナ禍により常にマスクを半強制された世代であった。運動会も修学旅行も無かった人らも多いだろう。しかし、人生は短いと言いながら本当は長いもので、いくらでも臥薪嘗胆、挽回は出来るものである。しかし、将来マスクをしていない自分らの卒業写真を見た時、こいつは誰だったかなと首をひねるケースが多いのだろうか。兵頭