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日記

DIARY

 2022年度のMLBも去年末からの労使協議が中々合意されず、2月からのキャンプイン予定も3月にずれ込むなど、一時は公式戦も日程短縮開催か?と言われていたが、ギリギリのタイミングで合意した。おかげで短縮キャンプと公式戦の詰め込み日程で、やっと年間162全試合の組合せが決定した。メジャーリーグファンはなかなかヤキモキしたと思うがが、それも多くは大谷選手の昨年の大活躍を又今年もと、私を含めて期待しているからだろう。

 彼の昨年の活躍は満票でのMVP受賞だから、当然他の選手よりは素晴らしかったのだと思う。しかし、私がピンとこないのはチームが負け越したのと合わせて、野球のルールのせいかもしれない。3割成功すれば、後の7割は失敗してもトータルでは大成功、こんなスポーツ他にはないだろう。そして、大谷選手に限れば前半はノーコンピッチング、後半はバッティングのフォームは崩れっぱなしで、三振の山は見るのも可哀そうだった。今年もまだ10試合程度の消化だから何とも言えないが、バッティングは去年の悪癖が尾を引いているようだ。

 そこで、(この続きは20日振りに書いているのだが)実際を観てみたいとアナハイムのエンゼルススタジアムまで行ってきました。

 その試合はナイターの対ボルチモア・オリオールズ戦。やはり大谷選手は4タコでいいところなし。試合内容は寒く、スタジアムの気温も又寒く、お土産に買ったエンゼルスの厚手のパーカーを上着して熱いコーヒーをすすりながら最後まで観戦した。いくらスロースターターだとは言え、大地はゆっくり動くと分かってるとは言え、観に行った時くらいはヒット一本くらいは打ってくれてもいいじゃないか。でもまあ、これも野球、これも人生の一部だと、大きな包みにくすぶる気持ちとパーカーを丸めてしまい込む。

 あれから20日ほど。バッティングの調子はまだまだだけど、ピッチングはピークに近くなって来ているようだ。昨日は珍しく、9回2アウト1・2塁から同点2ベース+次打者のヒットで逆転ホームインの活躍!!! しばらくは国内のネットとテレビで応援をしていこう。

 それにしても、驚いたのは特に女性の隠れ大谷ファンが多いことだ。これは、えっ、この人も!?と言う人ら複数から大谷グッズの土産を頼まれた事で分かった事だ。兵頭

 

 

 

投稿日:2022/04/19投稿者:-

 冬から春の季節の変化は、私的には薪ストーブとスキーからバイクの季節に変わることである。バイクは白い方(モンスター696)は普段の足として真冬でも乗っているので、正しくは赤いトウガラシ(ムルチストラーダDS1000)の季節に変わると言う意味である。先日の休みに、その赤いトウガラシに去年の秋以来久しぶりに乗った。

 普通、久しぶりの始動、特に春一発目の始動はエンジンが掛かるかどうか少し緊張するものだけれど、そこは心配ご無用。冬の間バッテリーにずーと家庭用電源を繋いでいたので、当然のごとく一発始動だった。エンジン音も外観も特に変化がないので、オイルが回りきっていないエンジンを痛めない様に、そろりとスタートする。

 その日は今シーズンの足慣らしで2時間程度、松山から久万高原町、小田町、広田村、砥部町を周回する山岳コースを走ることにした。赤いトウガラシは半年前と変わらずに、独特の低い野太い音と甲高い音(去年、クラッチを交換してからはこの高音は減ったのだが)マフラー音を響かせて、そこを軽快に走り抜けた。ただ、この半年間ずーと白い方に乗っていたので、久しぶりに会った人と話す時の様なギクシャク感も持ったが、2~3回乗ればその感覚も戻るであろう。なんせ、これは私が乗った中で最高のバイクなのだから。

 一つ想定外の出来事があった。松山平野ではそのころはほどんど桜も散っていたのだが、標高の高い久万高原町から小田町に抜ける県道沿いは今が盛りと、さながらここは桃源郷かという言葉が口から漏れると言う例えもさながら誇張でない程の満開の桜に出迎えてもらえたのである。

 もう一つ久しぶりの嬉しいことは、プールが再開したことである。この2ケ月余りコロナの感染防止対策の一環として、クローズしていたアクアパレットプールが今月初めに再開したのである。

 週2回程度は泳いでいた体は、陸上オンリーの運動に変わったことで、今までやってきて体に染みついた上半身と下半身の運動バランスが崩れ足腰中心の運動は全身に疲れをもたらしていた。水泳を挟むことがいかに良いバランスだったか、今回しばらく泳げなかった事で良く分かったのである。

 久しぶりのスイミングは、呼吸系は問題なかった(問題になるほどのスピードは出せなかったが)のだが、肩の三角筋がこれを書いている1週間後でもまだ違和感が残るほど直後は痛かった。ここの部位が痛くなるのは水泳をやり始めて15年程で初めてなのだが、そう言えば50年程前の中学時代の野球部で新人ピッチャー候補としてピッチング練習をして以来、久しぶりなのを乾きそうな記憶の沼から見つけた。そう言えば、脳の記憶より筋肉の記憶の方がどうのこうの、と誰かが言ったか何かで読んだか、脳は覚えていない。

投稿日:2022/04/13投稿者:-

 松山地方は今が桜の見頃のピークである。山や河川敷、公園、家庭の庭等至る所で満開のピンクと青空の淡いブルーのコントラストの色彩を楽しむことが出来る。土手では一足先に菜の花も咲いているので、花弁のイエローと茎のイエローグリーンを併せた四色を使って画用紙いっぱいに子供が描いた絵を見る様で、見る人の表情を緩ませる。

 しかし、我が家にある唯一本の桜の木はなぜか奥手で、まだ数輪しか咲いておらず、大半が蕾のままなので、満開は1週間後くらいだろうか。楽しみは確実なら待たされるのも悪くない。

 さて、春は雑草の季節でもある。夏のものと違いそれほどパワーは無いが、それでも綺麗にしようと思うと、それなりに手間は掛かる。この二日間の休みは夏の本番の戦いに向けた奴らとの予行演習であった。

 一日目は実家の畑や田の奴らを除草剤を散布して枯らすのであるが、これは従妹や妻が活躍してくれて、私はタケノコ掘りの方に精を出した。(タケノコもまだ準備段階で本番はしばらく先なのだが、小さいものを10本程get。それでも食すると美味であった。)私は背中にタンクを担いで田んぼの周りの奴らに散布しただけである。のどかである。

 二日目は自分の家の芝の草取りなのだが、人が住むところなので除草剤は使わず、専用鍬を一本一本根の少し前に打ち込んでは根ごと抜くのであるが、それでも結構掛かった。それでもやはり、のどかである。

 

 さて、ウクライナ、キーウでのロシアによるジェノサイトが明らかになった。後ろ手に縛られて後頭部を撃たれていたり、幼い子供や女性も拷問を受け殺されたり、死体の下に地雷を埋めていたりと次々と恐怖に落とし入れてからの凄惨な大量殺人、世界中の人々はロシアと言う国の異常さ陰湿さを見た。でも、自分自身もいつ殺られるか分からない異常な精神状態に陥る戦争は、隣の優しかったお兄ちゃんを悪魔にいつでも変えるのかもしれない。たぶん、戦歴が浅く若い見習い兵こそ、周りが全て敵に見えて、残忍で非合理的な殺しをするのだろうか。それはロシア人に限ったことでは無いかもしれないのだが、それにしても、攻め込まれたウクライナの人々は見事に戦っている。

 いずれにしろ、私は雑草と戯れるのではなく、この様な奴らと闘わなければならなかったのだろう。ウクライナの成人男性18歳~60歳は国外出国禁止である。兵隊にしろ、衛生・補給係にしろ国を守れという事なのだが、私はこれを聞いた時、「俺はもう戦争にも行けないのか!?」とショックを受けた。兵頭

投稿日:2022/04/04投稿者:-

 去年のこの日記で数度、英語の事を取り上げた。その英語学習を始めて今月で丸1年を過ぎた。そして、教材としていた「アルケミスト(錬金術師)」を読み終えた。

 この本は、生きる上での示唆に富む内容で、スペインの羊飼いの少年の宝探しと内面の成長の両面での旅を、アフリカ北部の砂漠を舞台に描かれた世界的に読まれている物語である。

 私は日本語版の文庫本でまず読んでいたので、英語版(原語はスペイン語だと思う)でも違和感なくストーリーに入り込めたのだが、190ページを1年かかった。この間に、(一時的にでも、しかし大半忘れたが)暗記した文章は700、これはアイフォンに自分の声で録音して、ネイティブ発音に変換して聞きながら覚えた。不明単語は800のうち覚えたのは500語程度(これは今でも大丈夫だろう)である。これも5回10回と繰り返して覚えた。脳の記憶を司る海馬が衰えているので、中々記憶できないが、反面粘りは増してきているので、それで多少補っている感じだ。(忘却と言うロシア軍の攻勢に粘りのウクライナ軍が反撃しているのに似ている)

 特に重視したのは、ヒヤリングと単語力である。文法はたくさんの文章を読んでいるうちに、自ずと理解でき出したようである。単語力は今述べたようなことだが、まだまだ足りない。ヒヤリングは文章に直して1行、頑張って2行程度なら何とかネイティブ発音でも付いていけるが、3行以上とか、知らない単語が2つ3つ入ったり、関係代名詞が2つ以上入ると、頭の中で小さな爆発が起きて今自分が何処にいるか分からなくなってしまう。

 こんな現状であるが、1年間の学習は楽しかった。まず、文章自体が素晴らしく飽きがこないことが前提であるが、知らないことを知ること、出来ない事が出来る事はそれ自体が楽しい事である。ましてや、世界の重要な情報の95%、私にとっての重要な情報の50%(大変多いという意味で)が英語で発信されていることを考えると、英語技術のスキルアップは避けては通れないであろう。翻訳だのを通すと純度、鮮度、正確度は落ちて詰まらないものになることは、例え話に直さなくても明確である。

 中国のことわざ「少年老い易く学成り難し」は小さい子に向けてもっと勉強したほうがいいよ、すぐ年取るからと言う昔の私に送りたい言葉であるが、今の私にピッタリなのはロシアのことわざ「ウリータ(少女の名前)は行った、いつかは着くだろう」である。

 1年は終わったが、感想を言えばもっと深く関わって行きたい、そんな気持ちである。

投稿日:2022/03/15投稿者:-

  私が日課として運動を始めたのが40歳代後半からで、それから15年程経つ。高校卒業以来の遊びではない運動であり、初めは自転車とランニングから、それに水泳を加えたらトライアスロンになるな、と数年後から水泳を始めた。水泳は子供のころは県でトップレベルだったので自信はあった。それからしばらくトライアスロンとロードバイクの競技会での好成績を目標に練習を励んだ。マラソンを走ったのもそのころである。それが50歳代前半から後半までの5~6年間である。

 50歳代後半に軽い脳梗塞(後に病名が突発性全健忘に訂正される)になり、そのことがきっかけで無理が掛かる競技会への参加は止めた。それまでは早朝あるいは夕方この3つの運動のどれかを全力でやっても翌朝には疲労も全て取れていた。競技会出場の為の目標意識とランニングハイ、スイミングハイ、ロードバイクハイでの高揚感が疲れも忘れさせる好循環を生んでいた。

 そして競技会を離れ、それほどの負荷を掛けずに3種を続けながら、新たに近くの小山への登山を加えた。それは息抜き程度のものととらえ、プールが休みで風が強く雨模様(ランニングと自転車困難)の場合にカッパを着て山に登った。それでもメインの3種に比べ気易かった。森の木々の下、岩や落ち葉の上を歩くことは気分転換にもなったのだと思う。

 それから、ウォーキングを加えた。ケガ人か後期高齢者でもあるまいし、山登りは未だしもウォーキングを運動とするのは抵抗があったのだが。

 しかし、競技会も止め60歳を超えた辺りから前日の運動の疲れが翌朝も取れない日が出て来るようになった。そのころ、過労も高血圧の原因の一つであることも知り、無理に強度を上げた3種の運動に固執せず、山登りやウォーキングを増やしたり、冬はスキーを加えたりして気分転換を図りながら何らかの運動は現在続けている。

 

 今朝はロードバイクでいつもの重信川コースを走った。このコースは10年前の競技会へ出ているころは52分くらいで家まで往復できたのだが、今朝は68分掛かった。強く踏んでも60分は切れないだろう。これが現状である。

 しかし、早春の朝の冷たい風を切って、正面から昇る太陽に目を凝らしながら全力でペダルを漕ぐと、今でも「光の国」を見ることが出来る。ロードバイクハイと言うのだろうか、その全能感、無敵感、肯定感がこのレベルでも感じられるのである。競技性は無くても、これが一番の運動を続けていける理由である。兵頭

 

 

 

投稿日:2022/03/11投稿者:-
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